#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第32章 修行僧 4偈

4 身(み)を制しない人々は、ことばで人々を傷つける。戦場に来た象を矢で傷つけるようなものである。荒々しいことばが発せられたのを聞いたならば、修行僧は心の汚れることなく、忍んで受けよ。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)

(ウダーナ4・8 自制心のない人々は、戦場にやって来た象に矢を放つように、言葉で人を傷つける。乱暴に吐かれた言葉をきいても比丘は心に怒りを抱くことなく耐えよ、と。)

(渡辺愛子訳「原始仏典 第八巻 ブッダの詩II」講談社より引用しました。)
 

*法津如来のコメント

心ない一言で人を悲しみのどん底に突き落とすことがあります。その言葉で人を死に至らせることもあります。言葉はそのように危険な武器なのです。

今回の偈のテーマではありませんが、もちろん言葉はその逆の場合もあります。傷ついた人の病を癒す薬になる場合もあります。その最上の場合は、言葉は人に解脱をもたらすのです。

荒々しい言葉が、戦場の象に放たれた矢のように発せられたら、どうでしょうか? 人々は傷つき、怒りに苛まれるでしょう。それが普通です。

しかし、修行者はそうあってはならないと説かれているのです。修行者は心に怒りを持ってはならないのです。

言葉で心に怒りはどのように現れるのでしょうか? 心はその言葉に反発しているからです。違う、違うと思っているのです。それが怒りになるのです。

違う、違うと思わなくともいいのです。そうすれば怒りはあらわれません。

その言葉を発する人は、そのように思っているのだなと思えばいいのです。人がどのように思うかはその人の自由です。他人の心の自由を拘束することはできないのです。

そのように思えれば、心に怒りは現れません。「忍んで受ける」ということもありません。





この記事へのコメント