#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第32章 修行僧 39偈

39 永久にときほごされて安らぎに帰した修行僧にとっては、いかなる生存も打ち克たれ、未来において静まっている。それが苦しみの終末とよばれる。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

「ときほごされて」は漢字で書けば、「解ほごされて」になります。

苦しみの原因が解らずに、苦しんでいる状態から、苦しみの原因が解り、安らぎの状態になった修行者は、どんな生存にも打ち克たと述べられています。

苦しみの原因が解ったとは、この世のものごとはすべて変化し、消滅するものであるとことを知り、それらに執著しなくなったということです。

「どんな生存にも打ち克た」とは、輪廻しなくなったという意味です。当時のインドでは輪廻は信じられており、輪廻しなくなったことは幸せなこと考えられていたのです。

「安らぎに帰した」とは、静まっている状態なのです。

「未来において静まっている。それが苦しみの終末とよばれる。」とは、将来解脱して、心が完全に静まると、苦しみが完全になくなるということです。

最後に、昨日の続きとして、私の今の健康状態を述べますと、朝の体温は36.0度です。倦怠感はありません。鼻の左側の腫れと赤みは、よく見ると多少違いがありますが、ほぼ同じです。押すと多少痛みはあります。完治とは言えませんが、ほぼ治ったと言えます。私の場合は、はじめから喉の痛みや咳などはありませんでした。同居している妻も元気です。しかし、現在東京では、外出自粛が要請されていますから、外出せずに過ごします。



この記事へのコメント

後藤
2020年04月15日 07:14
おはようございます。
当時のインドでは輪廻は信じられていたと説明ありましたが、釈尊は智慧によって輪廻転生というものを明言していました。
それ故、輪廻は科学の発展した現代においても厳然たる、しかし容易には察知、理解し難いものではありますが、真実には変わりありませんね。
諸行無常であるが故に、断見は成り立たず、それ故、輪廻はカルマを相続する各生命が乗り越えるべき壁として依然と立ちはだかっています。
健康状態に関しては、無症状病原体保有者の可能性という事もありますので、くれぐれもご注意下さいませ。
法津如来
2020年04月15日 09:14
後藤さん、おはようございます。
コメントありがとうございます。
輪廻についてお答えします。
当時のインドでは輪廻を想定しなければ、説明できない現象が多数あったのですが、現代では遺伝子の発見などもあり、輪廻を想定しなくとも理解できる現象が増えてきました。また個人の意識は集合意識に基づており、集合意識は個人の意識によって変化しているのです。ですから、無理に輪廻を想定しなくてもよいのです。
健康状態については、度々お見舞いとご注意をいただきまして、ありがとうございます。
くれぐれも注意いたします。
斉木広之
2020年04月15日 11:44
一切何とも関わりなく、一切から解き解される、ことは、時間は、素晴らしいことでしょう。

今こそ一人でウイルスの洗脳からさえも、解放されるよう、誰とも何とも離れ距離を置き涅槃を目指す時です

斉木広之🙇
斉木広之
2020年04月15日 11:57
真理を書きます

今涅槃に至れないものは永遠に涅槃に至れない🙇

今しかないんです

今後涅槃に至るとの思い事態が涅槃から程遠いこのような人永遠に涅槃に至れず
斉木広之
2020年04月15日 12:00
何時でも、24時間涅槃を目指しておくこと🙇
法津如来
2020年04月15日 16:10
阿羅漢斉木広之へ

多くの有益なコメントありがとうございます。

後藤
2020年04月15日 19:54
こんばんは
輪廻転生は想定されたものと仰りますが、
釈尊は、輪廻転生は確固たる現象、事実として説法されています。

アネーカジャーティサンサーラン
Anekajātisaṃsāraṃ,
無数の生涯の輪廻を

サンダーウィッサン  アニッビサン
sandhāvissaṃ     anibbisaṃ;
流転した       見出すことなく

ガハカーラカン  ガウェーサントー
Gahakārakaṃ   gavesanto,
家の作者を    探し求めて

ドゥッカー  ジャーティ プナップナン
dukkhā    jāti     punappunaṃ.
苦      生は    再三再四の

https://76263383.at.webry.info/201208/article_2.html

テーリーガータを始めとしたパーリ経典、大乗経典共に輪廻転生は説かれています。
解析され尽くしていない遺伝子理論等を、あたかも真理の代理物として持ち出すのは、それこそ想定という事になると思います。
一般に輪廻転生を理解、納得、確信できないのも無理ありませんが、沙門果経に宿命通(pubbe-nivāsānussati-ñāṇa)の獲得が説かれていますので、釈尊の言葉に偽りはありません。
さて、集合意識とは一体何のことでしょうか。
集合意識については、釈尊はどの経典で説かれたのでしょうか。
個人意識は理解できますが、
集合意識なるものは、輪廻転生よりもさらに得体の知れないものに思えます。
法津如来
2020年04月15日 21:30
後藤さん、こんばんは。

輪廻については見解の分かれるところですから、後藤さんに輪廻を否定せよと言っているわけではありません。ただ、輪廻が有ろうが無かろうが、この世に解脱という現象があり、解脱によって至るニルヴァーナが、この世にあることは確かです。ですから、修行者はこの世で解脱を目指すべきなのです。

集合意識については、ネットで調べてください。
斉木広之
2020年04月15日 23:44
生命は弱い、とても生命は弱い。

生存は弱い、生存はかなり弱い。

必ず生命は屈する。

このことを知って

受け入れなさい

ただただそれだけで

最後解脱します。

最終生に間違いない
後藤
2020年04月15日 23:46
修行者はこの世で解脱を目指すべきである事は分かります。

ただやはり気になるのは、輪廻転生に関する言説です。
輪廻が有ろうが無かろうがと仰っしゃりますが、諸行無常の真理は絶対ですから、輪廻転生の有か無については無常という名の真理の根幹に関わる非常に大切なポイントだと思います。

仮に輪廻がなければ、特段、解脱する意味は無いと思われます。
言い方は余り良くないかもしれませんが、一部の方々だけが趣味の延長、単に自己満足で目指せばいいという事になりかねません。
なぜなら、解脱は輪廻転生の苦があってこそ、その真価を発揮する性質のものだと言えると思います。

釈尊が解脱を達成された時の大歓喜は、
無始なる過去から繰り返された輪廻転生の苦しみからの解放、大脱出に基づいていると思います。
それに比して世の大多数の人々は、無明で覆われ邪見(常見・断見)で生きていますから、輪廻転生があると聞こうものなら迷信やカルト宗教扱いをする傾向にあります。従って解脱には目が向きません。
もし輪廻転生が真実であると知ったなら、その大多数の人々は、悪趣に陥るのを避けるべく解脱修行に邁進するのではないかと思います。

そして何よりも、各種経典で輪廻転生が明言されています。
十二因縁は、輪廻転生のメカニズムを如実に明かしているのではないでしょうか。
仮に輪廻が想定されたものであったとしても、なに故に、一切智者である釈尊が輪廻を想定されたものとして、わざわざ持ち出す必要がありましょうか。
ありのままの事実を、世間解の智慧によって、そのままに説けばいいだけなのではないでしょうか。

結論としては、輪廻転生は釈尊の説かれた仏教の根幹を成す、決して外す事ができない紛れも無い真理であるという事だと思います。

集合意識については、ネットで見ましたが、何となく分かりました。
個人意識のエネルギーが醸成したところであるものの、謂わば場の雰囲気エネルギーだと解釈しました。
斉木広之
2020年04月15日 23:54
輪廻という単語は自分の中に成立しなくなる

輪廻という単語が存在しなくなる。自分の中に

輪廻という単語が有り得ないものになる

どうして輪廻があり得よう自分の中に

その者にどうして輪廻が理解出来よう

最終解脱者に輪廻の理解は不可能

最終解脱者に輪廻はないんだから

ないものを説けない最終解脱者

しかし

最終解脱者にとっては

この世しかない

そうでない

最終解脱前の者は常にあの世がある

今も、この世とあの世がある

斉木広之
2020年04月16日 00:09
最終解脱者には輪廻がない

ないものを説けない🙇

しかし最終解脱前の者には必ず輪廻が自分の中にある

客観的に自分が輪廻するかしないか、そんなことを考えてる自体放逸。

客観的に自分を見なくても

最終解脱前の者に、輪廻するか輪廻しないか、という煩悩がある

最終解脱者の者自身に常にこの世とあの世がある

それがないのが最終解脱者

輪廻なんてあろうがなかろうが関係ないのが最終解脱者

自分の中に輪廻がないからです
斉木広之
2020年04月16日 00:16
最終解脱前の者には常にこの世とあの世がある

この世の一瞬先にあの世があるのが最終解脱前の者

そうでなく

最終解脱後の者には

この世しかないんです
後藤
2020年04月16日 00:20
最終解脱者に輪廻が無いのは、大いに喜ばしい事です。

最終解脱者である釈尊や他の阿羅漢方々は、輪廻転生を乗り越えたと経典で喜びを持って明言(宣言)されています。

釈尊の死後、釈尊の代わりは経典が果たすと釈尊が明言されました。

輪廻を乗り越えた最終解脱者には、確かに輪廻の苦しみは無くなりましたが、だからと言って輪廻(=無常)という事実(真理)をどうして、理解できなくなる事がありましょうか。

ある宿題を理解し解答できた学生が、間を空けずして、もう一度その宿題をやってみたら、理解できなくなったというのなら、記憶能力等に大いに問題があります。

理解できなければ、凡夫に対して釈尊や阿羅漢の方々は、輪廻転生に関する説法を果たし得なかった事でしょう。
斉木広之
2020年04月16日 00:30
最終解脱前の者の中には輪廻はあります

最終解脱後の者の中には輪廻はありません
斉木広之
2020年04月16日 00:35
輪廻があるか輪廻がないかと、この世とあの世をさ迷い歩いているのが最終解脱前の者

この世しかないのが最終解脱者
斉木広之
2020年04月16日 00:46
今は0時43分です。

今は0時44分です。

今は0時45分です。

常に今書きました

常に今書いたのに

時間は違っています

しかし

常に今書きました

斉木広之
2020年04月16日 00:54
今は0時51分です。

全て本当のことを書きました

嘘は書いてません

しかし

今はの後全て違うことを書いてます

違うことを書いてますが

違うことが本当です

斉木広之
2020年04月16日 01:01
そのように

それぞれの今は違います

違っても間違いではないです

しかし今に嘘なく正直に書きました。

今があるから今を書きました

今がないなら、今を書けません

今があるから今を書けました

今を見てる者に過去も未来もないから

今を嘘なく正直に書けます
斉木広之
2020年04月16日 01:05
今を見てれば

無常すらない輪廻すらない

今だけを見ず、未来と過去も見るから

無常だとか、輪廻だとか、概念を作れる

今だけ見てれば、その無常も輪廻もない
斉木広之
2020年04月16日 01:12
答えが100になる計算式があったとしよう

答えを見て

100

だと明言しても意味がない

自分で試して確かめたもののみ答えです

それ以外に答えは絶対にない
斉木広之
2020年04月16日 01:16
輪廻があるかないか答えがほしいなら、自分で確かめなさい

確かめれないなら

一切の思いを滅してみなさい
後藤
2020年04月16日 01:17
我々には分かり難い最終解脱者の心境はひとまず置いておきまして、

そもそも、四向四果があるからこそ、“最終”解脱者が成り立つのですから、輪廻転生を前提にしている事は明白な事実だと思います。預流果はさて置き、一来果、不還果は何度、輪廻するかのバロメーターに基づき名付けられた名称だと思います。

論点を出発点に戻しますと、

果たして輪廻転生は諸々の事象を説明する為に、仮に想定されたものなのか、

あるいは、事実そのものなのか、

どちらなのかという事です。

輪廻転生は単なる想定物だと言うのなら、多くの仏教者を頷かせるのは難しいと思われます。

輪廻転生を否定するのなら、かなり、異端的発想であると言うしかありません。

なぜなら、同時に業の否定にもつながりかねない危険性を多分に孕んでいるからです。
これは、非常に重要なポイントだと思います。

仮に輪廻転生が想定されたものであるなら、釈尊の説かれた六道輪廻は全て妄想に基づくストーリーであると言う事になりかねません。
梵天を始めとして、帝釈天も、兜率天の神々も、この欲界を支配する他化自在天のPāpīyas等も。
釈尊は神通力を使って兜率天の母君に説法もされています。

故に、輪廻転生は紛れも無い一つのダンマとして、念頭に置いておくべきものだと思います。
斉木広之
2020年04月16日 01:30
輪廻があるかないか

それが最終解脱前の者の最大の煩悩です。

何を卑怯なことを考えてる

何を企んでる

それによって今をどうしようとしてる

その汚い心こそ捨て去るべきである
斉木広之
2020年04月16日 01:37
輪廻があったほうがいい

輪廻はないほうがいい

両方共に煩悩です

そんなものは今に関係ない

今に関係あるんだ、というなら汚い今の心
斉木広之
2020年04月16日 01:41
輪廻があったって

輪廻がなくたって

今心を清らかにすることに何の関係がある

答えれるなら答えてみよ

答えられないなら、答えなくてよい
斉木広之
2020年04月16日 01:46
未来の自分の為に

今こうしておけばよい

なんてものは、その思い自体今の心の汚れ

今の心の汚れこそ、除くんです
斉木広之
2020年04月16日 02:03
輪廻があるかないか、なんて思いこそが輪廻です

しかし

最終解脱しない限り

その思いは消えない
後藤
2020年04月16日 02:07
仰っしゃる通り、心を清める事は、輪廻
に関係なくするべき事だと思います。

ただ、それとは別に法(真実)の真偽を明らかにする事自体はとても大切な事だと思います。

真実は何なのかと知る事は、自分自身の切望です。

自分で確かめるには、第四禅定に入って宿命通を獲得するしかありませんね。

ただ法津さんが、釈尊と異なる説明をされることに、大いに戸惑いを感じるだけです。

これは、多くの人も同様に感ぜられることなのではないでしょうか。

斉木様はあたかも、ご自身が最終解脱者のような物言いをされているように私には感じられますが、もしそうであれば、その証拠はあるのでしょうか。

世の中には、特定の宗教に限らず解脱したと単に勘違いされている方々が、釈尊在世時含め、古今東西より多数いらっしゃいます。

これは、多くの方々が陥る落とし穴ですので、私も含めて万人が自戒する必要があると思います。

そうでなければ、仏教の信憑性を損ねてしまう大きな原因の一つを作る事になると思いますので。
斉木広之
2020年04月16日 02:18
真実は何なのか知りたいならば教えます

真実は何なのか探し求める思いに悩まされているのが真実です

真実は何なのか探し求める思いを滅したら、真実は何なのか探し求める思いは消える

これが真実です
斉木広之
2020年04月16日 02:30
お釈迦様は多くを語っておられます

その時のお釈迦様の心を知ったなら

全ては解けます。

それ以外にないんです

本当の教えは。

お釈迦様の言葉で解けることは絶対ない

言葉を発した時のお釈迦様の心で一切は解けるんです
斉木広之
2020年04月16日 02:35
お釈迦様の言葉で解けることは絶対ない

言葉を発された時のお釈迦様の心が解けたら、自らの心も解けます。
ノブ
2020年04月16日 03:17
輪廻転生について。
輪廻転生には救済としての側面が確かにあったし、今もあると私は思います。仏門の人々はそれを苦だというけれど。
それがどの様な救済かと言えば、例えば、悲惨な境遇に生まれる人がこの世にはごまんとおります。もし、生の一回性を、信じ、或いは認めるならば、この世に生まれ、恵まれず、いじめられて、不遇に死んだ人々は、一体何の不運で生まれ滅したのかという問題が残ります。何のためにその人生はあったのかという問題が残るのであります。この様な問題について触れる事なく、自らは一切皆無を覚知して執着を離れ、涅槃に至ったと称しても、それは、側からみれば唯の能天気に過ぎない。

修行できる人生に生まれつき、成果を達成して解脱したとしても、その前提が唯の運任せと言うのはあまりに無碍に過ぎる。それはやさしく無いと私は思います。

輪廻転生は必要だったと言うのが私の見解であり、その必要性は科学が発達した現代においても変わらない。

善知識の起源についても、遺伝子の所為にしてしまえば、ともすれば解脱する様な優秀な素質が遺伝的に受け継がれて、そしてその継承者は、智慧ではなく血によって、必然に解脱したのだと言うことにもなりかねない。

答えが無いなら、創り出すしか方法はない。この様な必要があって輪廻転生は創り出され、また護られて来たのではないか。

覚った人は知っているであろう。この世の、あるとか無いとか言った事柄を超えた境地について。寂滅とその光輝について。
いかなる人も、いかなる存在も、この境地に至り住するであろうことについて。

しかしその解とは別に、輪廻転生については説き明かされなければならない。科学的知見が積み重なったのでそれを取り下げるというのは、あまりに無体であり、冷たく、一方的であると私は思う。

それに、一度語られた仏の言葉は訂正されぬと、仏自身が語るのを私は聞いた。もし、訂正されたのであれば、その訂正されぬと言う言葉自体も取り下げなければならなくなり、それは仏の威信を凡夫の丈にすることに他ならない。それでは、一体何のために自分は仏であると宣言したのか?現代、複数いるとされる慧解脱者は、それについて釈明せねばならないのでは無いか。解脱者は責任ということから免れているとしても、自ら名乗りを挙げ言葉を発した以上、それは無責任で良いということにはならないからです。

責めるわけでは無いし、責めても私に何か益があるのでも無いが、私はこれを言う機会だったのかも知れない。
斉木広之
2020年04月16日 08:31
輪廻があるかないか、最終解脱前の者は知れない。

最終解脱前の者は自分が死ぬことすら知らない

最終解脱前の者は自分が死ぬことすら知らないんだから、輪廻は必ずある

最終解脱後の者は自分が必ず死ぬと知っている

その者に輪廻はない
斉木広之
2020年04月16日 08:35
ドングリの実は

さまざまだ

落ちる所も

さまざまだ

客観的に見なければ

ドングリに幸せも不幸もどのドングリにもない
斉木広之
2020年04月16日 08:41
自分自身に

他でもない

今の自分自身に輪廻があるかないかが問題です

今全ての思いを滅してみよ

次の今の貴方でもいいし

次の次の今の貴方でもいいし

次の次の次の今の貴方でもいいし

今の自分の思いを全て一切滅してみよ

その者に輪廻があるはずがない
斉木広之
2020年04月16日 08:56
今の貴方の思いを相続して

次の今の貴方の思いが生まれる

次の今の貴方思いを相続して次の次の今の貴方の思いが生まれる

輪廻の中に今の貴方はある

そして自分が必ず死ぬことすら知らない

だから今の貴方はさ迷っている
斉木広之
2020年04月16日 09:00
今の自分の思いがある

次の今の自分の思いがある

次の次の今の自分の思いがある

相続してないのが最終解脱後の者

そして今の自分の思いを全て滅することは

なにもしないことで容易に涅槃

なにもしないことがどうしても出来ないのが最終解脱前の者
斉木広之
2020年04月16日 09:09
今の自分の思いを相続するのが最終解脱前の者

今の自分の思いを相続しないのが最終解脱後の者

輪廻するのが最終解脱前の者。自分が死ぬことを知らない。自分が死んだことがないから知らなくて当たり前

輪廻しないのが最終解脱後の者。自分が死んだことがあるものが最終解脱後の者。自分が死んだことがあるから、自分のこととして、滅が一切の滅が自分のこととして知っている
斉木広之
2020年04月16日 09:20
今の自分の思いを相続し次の今の自分の思いが生まれるこの輪廻を滅ぼしてみよ

相続でできた、輪廻でできた今の自分の思いを全て一切滅ぼしてみよ

そなたにもはや相続はない。そなたにもはや輪廻はない。相続のことも輪廻のことも、もはや自分自身にとって問題ではない

これが

これこそが

教えである
斉木広之
2020年04月16日 09:31
最終解脱前の者に

輪廻について全て一切教えました

輪廻から解脱せよ

解脱後の今に出会え
hal
2020年04月16日 09:55
真実 は

ただ

この こころ

それだけ
斉木広之
2020年04月16日 10:10
ないが涅槃

涅槃はない

これ真実ならば

真実もない
斉木広之
2020年04月16日 10:18
分かりやすく教えます

カメラ📷が貴方です

真実は写ります。

残された画像の対象はもう存在しません

残された画像の真実はもう何処にもない

また

カメラの電池(自分の思い)がなくなれば一切何もない
斉木広之
2020年04月16日 10:33
真実でないものを真実と思い

真実を真実でないと見る人々は

誤った考えを持っているので

彼らは真実に到達できない

真実を真実と知り

真実でないものを真実でないと見る人々は

正しい見方を持っているので

彼らは真実に到達できる

🙇

https://76263383.at.webry.info/200911/article_9.html

🙇
ノブ
2020年04月16日 12:17
真実の相は不生不滅であろう。
そして、生じたものは滅する。
分別すれば生じ、滅し、流転する。想いもまた流転する。
無分別であれば生じもせず、滅しもしない。
斉木広之
2020年04月16日 15:58
宜しい。

分別して来たから
分別した今がある

今一切を無分別に至るかなら

最終解脱する

涅槃

斉木広之
2020年04月16日 16:35
肝心なのは

今現在分別してるのに、分別してることに気づかず、分別してない、これは当たり前だ、となっていることがら

たとえば

食べることは当たり前ではない
斉木広之
2020年04月16日 16:43
分別して食べることは当たり前というのがあり、当たり前がないから苦しむ

分別して食べることは当たり前というのがあり逆算して飢餓だと想いが現れるから苦しみが生じる
斉木広之
2020年04月16日 16:48
分別を、また未だ気づかぬ分別を当たり前だと想いなし、当たり前が未だないと苦しみ、当たり前を求める。

ここまで行くと当たり前の当たり、即ち的が固執である、当たり前だから、固執に目掛けて進みます
斉木広之
2020年04月16日 16:58
分別してるのに

分別してない食べるのは当たり前だとしがみつく固執

それに気づかないのは無明だから

無明なのに

食べるのは当たり前などと分別までする

このように自分が作った蜘蛛の巣をさ迷い歩く
斉木広之
2020年04月16日 17:05
死ぬのは当たり前

なら固執ではない

固執しなくても

必ず死ぬ
斉木広之
2020年04月16日 17:11
真実は死ぬのは当たり前

何一つ生きてて困ることはない

真実は必ず死ぬ

真実に必ず向かっている

それに恨みを持つ者がいる

真実に対して

恨みを持つなら

恨みは恨みによって静まらない

恨みを持たないことで鎮まる

これは真実に対する真実である
斉木広之
2020年04月16日 17:26
すっきりしないなら

生きてる間に死んでみろ

何度でもチャレンジして

1度でいいから1度でも死んでみろ

貴方は過去にたったの1度も死んだことがない

だから輪廻の賜物が貴方である

輪廻の賜物から最終解脱せよ
斉木広之
2020年04月16日 23:09
貴方は1度も死んだことがない

1度も死んだことがないから死ぬことに恐怖をおぼえ流転する

永遠に死に怯えながら流転する意味などない

いま死んだほうがいい

それを最終解脱という

最終解脱後斉木広之はこうして生きている

前世は地獄である
最終解脱前は地獄である

今世は天国である

前世も今世も捨て去るのが涅槃
斉木広之
2020年04月16日 23:23
死に怯えながら百年生きながらえるより

死の怯えのない一日のほうが勝る
斉木広之
2020年04月16日 23:35
最終解脱前・・・・・最終解脱後を迎えます

最終解脱後・・・・・

・・・・・だけが涅槃です
斉木広之
2020年04月16日 23:39
十二因縁の滅・・・・・十二因縁の生

十二因縁の生・・・・・

・・・・・だけが涅槃
斉木広之
2020年04月16日 23:45
十二因縁の滅・・・・・

・・・・・だけが涅槃

涅槃後=十二因縁の生

【涅槃後=十二因縁の生】の滅・・・・・だけが涅槃

・・・・・この身が尽き果てる=涅槃入滅
斉木広之
2020年04月16日 23:52
おやすみなさい🙇

有難う御座いました🙇
ノブ
2020年04月17日 02:25
解脱者は、生存している者の内には数えられない。その事を死と仰っているのだろうと思うが、死せるものは生けるものである。生けるものであるので、死せるものであるのである。

生存している者の内に数えられないと言うのは、真実の相にあって、生死の流転の相に住するのでは無い事を言う。

死のうと思うこと自体が生きている事なのであり、生きていると言うことは死せると言うことである。

一方、死に関して澄み渡った智慧が存在する。それは、原始仏典にあるが、曰く、
「我らはここにあって死ぬはずのものであると覚悟をしよう。
この理(ことわり)を他の人々は知っていない。だが、この理を知る人々があれば、争いは静まる。」

この通りであるから、殊更に死に邁進すると言う様な事は別に推奨されない。それ(覚悟)は静かなものなのである。

そして、この理は、実には人々には知られたところのものであろう。この理に従っては、多くの人は沈黙するが、それは決して、屈し悲観しての事ではない。覚悟が定まるとは、諸々のわだかまりや我執、愛執などが消滅することなのである。


食物の原因について。
この代謝機能は、原始的な生物にも備わっている、生物の原型のようなものです。勿論植物にだって存在している。これは運動であり移動であり、結合であり成長であり、また排する事である。この身体を老いと死の集積と見るのは別に間違いでは無いが、それはこの代謝の一面である。生きた建築と言ってもよい。
それは、崩れながら立ち上がりを繰り返して、元の形ではなく高度に複雑化していっているようである。

当たり前と言うのが何のことを言っているのか分からないが、確かに食べると言う事を知り抜く事は、当たり前には難しい事だろう。
斉木広之
2020年04月17日 11:35
輪廻が当たり前の人にとっては食べることは当たり前

だから最終解脱できないと言ってるだけです🙇
斉木広之
2020年04月17日 11:42
勝手に生きてる

自動的に生きてる

自然に生きてる

訳ではない

食べるために最終解脱前は生きてる

だから生きてたら、必ず食べる

輪廻を説くつもりはないんです

解脱を私は解いてるんです

仲良く飼い主と飼われた牛

その牛に解脱を解いてるんです🙇
斉木広之
2020年04月17日 11:56
今現在で言えばコロナが幸せでありますように、でしょ

コロナは今非常に差別され排外されてます

斉木広之
2020年04月17日 12:04
貴殿方は

自分は輪廻の中にいるんだから、輪廻の中の輪廻の行為を認めろ

輪廻の中にいて輪廻の行為をするのは当たり前だと言ってるようにしか聞こえない

斉木広之はその当たり前から脱出しろ

と教えてます
斉木広之
2020年04月17日 12:11
輪廻の中にいるものは

コロナを差別して

コロナを排外して

当たり前だと言うでしょう

それは輪廻の中にいるものが輪廻が当たり前のものにとって

コロナを差別するのは当たり前

コロナを排外するのは当たり前

と言ってるだけです

斉木広之は輪廻を認めてる訳ではなく、輪廻から当たり前から脱出しろと教えてます
斉木広之
2020年04月17日 12:17
当たり前のことを全て当たり前だと知っても

それは輪廻を知っただけです

意味があるようでない

そんなこんなこと全く知らなくても、解脱はできる

「殺さない」

のみで
斉木広之
2020年04月17日 12:22
「殺さない」

のみで解脱できる

なぜなら輪廻を脱出しないと

「殺さない」

は達成できないでしょ

達成できないようにする為に輪廻の当たり前を持ち出し

輪廻の当たり前によって輪廻してるのが最終解脱前の者
斉木広之
2020年04月17日 12:26
コロナが幸せでありますように

コロナよ

あまり人々を殺すなかれ
斉木広之
2020年04月17日 12:29
コロナは変異もしますよ

人間に優しく変異だってします

コロナが幸せでありますように

みんなが思えばね

気づけばね

なんで人間に来てるか
斉木広之
2020年04月17日 12:38
コロナも生きていたい

貴殿方も生きていたい

同じ輪廻の住民じゃないですか

それから解脱せよ
ノブ
2020年04月18日 13:42
TVなどで見たことのある人も多いと思うが、例えば、原野で鹿の子供が生まれる。生まれた直後に、肉食獣に捕食される。
何故世界はこのようであるのか?
そのような疑問を持った人もいるだろう。
或いは公園でアリを見ていた幼い頃、一匹の芋虫がアリの群れに襲われる。
何故、世界はこのようにできているのだろうか?
疑問に思った事はないだろうか。

斉木さんも食事を摂っていると思うが、その食卓に植物性ないし動物性の食べ物が上がる事でしょう。

何故なのか。この仕組みはどう言った事なのか?と言う事を問うているわけであります。

現代でも疫病にかかって時に大勢が死ぬ。古代や原始ならばもっと生きるのは難しかったであろう。
無尽蔵に湧く生命世界を見て、そこで輪廻を説く意味は何であるのか?
この生命世界は何処に向かっているのか?

科学的知見がさらに増大すれば、世界観もまた変わるであろう。
この宇宙に、少なくとも二兆個の銀河があるとも言われているが、その様な内の一つの銀河の内の一つの惑星の内のただ一人である私が、普遍を悟って無一物を知る。しかし、それで別に私が食べ物を食べなくなるわけではないし、鹿が肉食獣に襲われなくなるわけでもないし、疫病が無くなるわけでもない。
言ってしまえば何にもなっていない。この世界が何故こうなのかについての理由も不明なままである。

その様な中で、徳によって生きることが説かれ、波羅蜜を修して、争いを超克することが推奨されたのは、大変意義のあることであっただろう。死を恐れず、しかし生を蔑ろにする事なく、ただ真っ当に生きる人をなんと呼ぶべきか。
斉木広之🙇
2020年04月18日 21:30
監獄の中の教師

餓鬼の中の教師

ブッダの弟子

と呼ぶべきでしよう

先駆者でもいいでしょう

改心者でもいいでしょう

改心したものは因果によって業を背負う
斉木広之🙇
2020年04月18日 22:03
殺す者が自分の中から消え

生きるも同時に自分の中から消え

涅槃

それだけが涅槃

それ以外に涅槃はない

そのままだと入滅

しかし、なぜ自分が涅槃入滅できるのか考えた時、ブッダに教えてもらったから、ブッダの言葉を今日まで守って伝えてくれた人があるから、その他一切の生きとし生けるものがあったから、宇宙のネットワークがあったから、今涅槃入滅できる自分がいる。

だからね

因果によって業を背負うでしょう

それと

殺される生命を放っておいていいのか、駄目です

殺す立場0%の者として

殺される立場百パーセントの者として

「殺すな」と斉木広之は言います

見てるのは百パーセント殺されるものです

見てないのは殺すものの立場です

殺すものの立場などない

殺されるものの立場に百パーセント至ったのが最終解脱者です🙇

ですから生きることを斉木広之は正当化出来ません

故に輪廻はあり得ません

終身刑の斉木広之が改心して終身刑の者と仲間になって

最終解脱を教えてる
斉木広之🙇
2020年04月18日 22:20
殺すものの立場が0%

殺されるものの立場が100%

最終解脱者です

生きるがないんです

だから

100%殺すな

なんです

これが言えるのは最終解脱者のみ

殺す立場がないからです

それ以外は輪廻の住民です

殺し殺されを当たり前のように正当化する。なぜなら輪廻の住民にとっては殺し殺されが当たり前

その当たり前から解脱し

殺すものの立場はない

というのが斉木広之です

故に生きるを正当化出来ません

故に輪廻はない

生きることを正当化出来ない斉木広之が生きることを正当化してる輪廻の住民に最終解脱を解いている



🙇
斉木広之🙇
2020年04月18日 23:58
殺しから完全に無縁に至ると

食べるも消えるんです

苦がないんです

永遠にです

即ちそのまま入滅できるんです

それのみが涅槃です

食べるがなくても初めて食べることはできる。食べたら涅槃ではない。明らかです🙇

絶対なんです🙇
斉木広之🙇
2020年04月19日 00:02
涅槃だけが苦が一切ない

苦が一切ないから

そのまま何もしなく入滅まで何もしなくいられる。苦がないからです🙇

食べるがなくても初めて食べることはできる。食べたらもう涅槃ではない。次の涅槃まで
斉木広之🙇
2020年04月19日 00:05
これが分からないものは涅槃の境地を辿ってない。涅槃の境地を辿ったものは絶対このことを辿っている
斉木広之🙇
2020年04月19日 00:15
他の命を自分の口にする

即ち食べるが消えるんです

そして苦が一切ないんです

どこまでだって苦が一切ないんです

苦が一切ないんだからそのままが一番なんです🙇苦が一切ないまま入滅なんて最高です🙇

食べるがないんだけど初めて食べれば苦の始まりだと明らかに知ってます

けど初めて食べることはできる

なぜならもう一度涅槃にいけばいいだけだから

苦が始まると知ってても初めて食べることはできるんです

なぜ書けるかこのように。

それが斉木広之だからです🙇
斉木広之🙇
2020年04月19日 00:19
生きる=食べる

ことは確実に苦の始まりです

絶対なんです

生きる=食べる

が消えた涅槃に苦は一切ない

入滅まで一切ない
斉木広之🙇
2020年04月19日 00:20
このことは斉木広之自身の知るところです

絶対なんです🙇
斉木広之🙇
2020年04月19日 00:29
一回ではない

繰り返し

涅槃を試して

間違いないとなったから

書いてる
ノブ
2020年04月19日 00:35
生きるということは死ぬことであろう。死ぬことはまた、生きることであろう。
生きて行っていることは死んで行っていることであり、生命活動(生死)の止む事はない。

故に聖者は、生死の滅を説く。
存在とその寂静の相を彼(人)は知る。
その人が静かなのはそのためである。
斉木広之🙇
2020年04月19日 00:36
なぜ入滅まで一切苦がないと書けるか

それは

涅槃

生きる=食べる

が消えた状態だと

苦が一切起きないどころか

どんどんどんどん楽になる

日にちがたてばたつほど楽になる

立つ力もなくなっても

そらを飛べるぐらい

体が体重が0キロでそらに浮かびそうになるくらい楽になっていくからです🙇斉木広之はそうでしたよ
斉木広之🙇
2020年04月19日 00:44
これ以上ない

に出会えばいいだけです

貴方は自分自身

「これ以上ない」

に出会いましたか

斉木広之は自分自身

「これ以上ない」

に出会いました

各自、自分自身で

「これ以上ない」

に出会えばいいことです

斉木広之は

「これ以上ない」

に出会いました🙇

皆様も

各自

自分自身

「これ以上ない」

に出会われますように🙇
斉木広之🙇
2020年04月19日 00:51
お休みなさい🙇

有難う御座いました🙇