#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第32章 修行僧 48偈

48 泥沼をわたりおわって、村の棘(とげ)(=諸感官を刺激するもの)を粉砕し、情欲を滅ぼすに至った人、___かれこそ<修行僧>と呼ばれるのである。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)

*法津如来のコメント

「泥沼をわたりおわって、村の棘(とげ)(=諸感官を刺激するもの)を粉砕し、」について、解説します。

「泥沼」と「村の棘(とげ)」とは、心の名称(ナーマ)と形態(ルーパ)の比喩なのです。訳者は村の棘(とげ)について、カッコで(=諸感官を刺激するもの)と解説していますが、それとは別の解釈をします。

心の名称とは、説明が難しいのですが、まさに心の泥沼というべきものなのです。泥沼がその意味を説明しています。

同様に、心の形態の説明は難しいのですが、それは心の棘というべきものなのです。

ちなみに、心の名称(ナーマ)と形態(ルーパ)については、SRKWブッダのホームページで解説されています。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou006.htm


心の名称が消えれば、情欲(不必要な欲望)がなくなります。

さらに、心の形態(心の棘)がなくなった人を、修行僧(修行者)と説かれています。

仏(ブッダ)とは呼んではいないのは、解脱知見(仏の自覚)まだ明確になっていないからです。





この記事へのコメント

斉木広之🙇
2020年04月19日 10:52
御早う御座います🙇

コロナの情報みたいだな

コロナの情報の泥沼から抜けて

それでも世間にいればコロナ対策が目につく林の棘のように

しかし、ひとり情報という泥沼から離れ世間に生えるコロナ対策林の棘から離れ

そのようなものを修行者という。加えていうなら、未熟者だから、解脱するまでは、危険だから、修行の方に専念しなさい🙇

世間がら離れて情欲に心が泥沼に心が埋没していても汚されない人になるまでは
斉木広之🙇
2020年04月19日 11:04
斉木広之🙇
2020年04月19日 11:11
解脱すれば

泥沼にいる人のもとへ

林の棘を通って

泥沼に自らも入り

泥沼の共になって

泥沼から抜けて、林の棘も蹴散らして、水をかぶって、流す方法など教えることができる

しかし解脱前だと泥沼の人に同情して自らも泥沼の住民になる可能性がある
斉木広之🙇
2020年04月19日 12:06
最終解脱後

社会に入って仕事するのはいい。密に解脱への、道を解ける。解脱は解かなくていいんです。解脱への

道さえ解いたら

仕事が目的じゃないから

斉木広之🙇
2020年04月19日 12:10
解脱を教えることが

一番

仕事は

2番

その自分は

3番(もう自分のことはなし終えてるから)
斉木広之🙇
2020年04月19日 12:20
一切の苦からの解放が最終解脱です。最終解脱後涅槃の境地です。一切の苦から解放されてるから、そのまま何もしないままこの世が消えるまで、一切苦がないから、何も必要ないし、何も不足もない。

しかし食べれば苦の始まりです

次の涅槃まで

仕事行ってきます🙇

有難う御座いました🙇