#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第32章 修行僧 54偈

54 村の棘(とげ)に打ち勝ち、罵りにも殺害にも拘禁にも打ち克ち、山岳のように確立していて不動であり、苦楽に悩まされないならば、かれは<修行僧>である。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

「村の棘(とげ)」について、48偈で訳者は、「諸感官を刺激するもの」と注釈してありましたが、
そのように解釈すると、心の対象のように理解されます。ですが、心の内部の障害と理解すべきなのです。

「罵りにも殺害にも拘禁にも打ち克ち、」・・・罵り、殺害、拘禁は、他人からされたことではありますが、それらに打ち克ちとは、罵り返すことや殺害し返すことや拘束から逃れることではなく、罵りに動じない、殺害を苦と思わず、拘禁されても拘禁とは思わず、それでも自由でいられることです。

なぜ、そのようなことができるのか? 罵りを罵りと思っていないからです。あの人はそのように思っているのだなと思っているだけなのです。罵るのは彼の自由だと思っているのです。殺害には、自分という思いがないからです。自分という思いがあれば、その時、恐怖や怒りが現れるでしょう。拘禁されても、瞑想している時と同じなのでしょう。身体が拘禁されても、心は自由なのです。むしろ凡夫は拘禁されてなくとも、心はいつも何かに拘束されていて、不自由なのです。




この記事へのコメント

斉木広之🙇
2020年04月21日 15:00
子供のわがままに対する

善き正しき母ですね

そのように自分で自分に対するなら修行僧だね🙇
斉木広之🙇
2020年04月21日 15:06
子育て

自分育て

に苦楽は確かにある

しかし苦楽に

「悩まされ」たんじゃ

善き正しき母ではない

苦楽があっても

悩みに陥らない姿が

善き正しき強き母である

それは山岳のようである

そのように自分育てを行うものは確かに修行僧である🙇
斉木広之🙇
2020年04月21日 15:16
村の棘とは

自分の歩みを

殺そうとする

傷つけようとする

立ち止まらせようとする

しかし山岳のように不動の心で歩むのである🙇

生きとし生けるものが幸せでありますように🙇の不動の心

貶されても
その心を否定されても

如何なる苦楽に合おうが

生きと生けるものが幸せでありますようにの心が揺れる悩みがあってはならない

如何なるわがままに対しても

生きとし生けるものが幸せでありますようにで揺れる悩みを起こさず

山岳のような心であることです

立派な修行僧です🙇
斉木広之🙇
2020年04月21日 15:23
如何なる苦楽があろうが悩むことなど有り得ない。

苦楽など一切関係ない

なすべきことは

生きとし生けるものが幸せでありますように以外にない

なすべきことは一個しかない

生きとし生けるものが幸せでありますように

だから

悩みが生まれるはずがない

修行僧である

あるのはただただ修行のみである

正しく修行僧と呼ばれる
斉木広之🙇
2020年04月21日 15:38
単独登山家

の周囲は

「頑張れ」

もあれば

「行かないでほしい」

もあれば

さまざまな意見が自分に向けられる

しかし自分の為に自立の為に解脱の為に山頂を目指す
斉木広之🙇
2020年04月21日 19:07
山岳の登山家にとって

苦、楽、は悩みの種ではない

周りの声だけが悩みの種である

心配する声

頑張れという声

そういう声に返事をする自分が既に、殺されてる、監禁されてる

と知り

自分の気がすむようにする

となるなら

皆が幸せなんです

当然自らも幸せなんです
斉木広之🙇
2020年04月21日 19:24
コロナに返事してる時点でコロナに殺害されてるし、コロナに監禁されてる。

コロナも幸せでありますように

生きとし生けるものが幸せでありますように

こそが

解禁なんです

自由なんです

生きとし生けるものが幸せでありますように🙇
斉木広之🙇
2020年04月21日 19:33
あっそれから

コロナは自ら移動することないのに

丁寧も優しく人間が移動させてくれるらしいです

自業自得でコロナを自分のものにするのかな
斉木広之🙇
2020年04月21日 19:41
どうぞ、コロナも幸せでありますように

どうぞ、生きと生けるものも幸せでありますように

みんな幸せでありますように
hal
2020年04月22日 05:58
殺さしめてはならぬ
ということを おもいます。
hal
2020年04月22日 06:09
殺す上にしか
成り立っていない
この世界に
おいて。

それでも
なお
と。