#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第32章 修行僧 30偈

30 この世で自分にとって苦しみの滅びてなくなることを明らかに知り、善い知慧のある人を、<つねに戒しめをたもち汚れの無い人>と呼ぶ。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

「この世で自分にとって苦しみの滅びてなくなることを明らかに知り」とは、「苦とは何か」を知ることです。

最近、SRKWブッダによって書かれた「ブッダの世界観」の「苦」の章に説かれていることを引用します。
http://srkw-buddha.main.jp/sinnkann2.htm

(以下引用)

  世人は、この世には苦しみも楽しみもあると言う。しかしながら、実際には衆生世間は 苦に満ちている。苦は連鎖し、伝搬し、世間を覆う。人々が楽しみだと思ったものもすべ て苦に帰着する。これが世の実相である。

ところが、どう言うわけか人々はなかなか苦から脱れようとはしない。ただ、じたば たするだけである。その理由は、人々が苦を苦だと認識していないことによるのである。 あるいは、苦があってこそ楽があるのだと固く信じているかのようである。

世人の楽しみは、見かけ上は複雑で面白いということを基にしている。しかし、その楽 しみの実態はどれもワンパターンで、騒々しくて静けさに役立たず、最後は苦い味がする ものに過ぎない。すなわち、世間のそれは実は楽しみとは言えないものなのである。

その一方で、こころある人の楽しみは、簡素で穏やかである。こころある人は、世間に は真の楽しみは無いことを知って、その上で世の喧噪から離れた処に本当の楽しみを見 出すのである。

ところで、世間に本当に楽しみがあるのであるならば、その先にニルヴァーナを発見す るはずである。しかしながら、現実にはそのようにはならない。世人はただ苦に喘ぐの みである。もちろん、世人達も手をこまねいているわけでは無いだろう。知る限りの方 法によって苦を回避する努力を為し、何とかして苦を滅する方法を探しているに違いな い。しかし、苦の真実とその在処を知らないので滅することができないのである。

その一方で、人が苦の真実を知ったならば必ず苦から脱れようとする。そうして、功徳 を積む人はついには苦から脱れることを得る。このとき、彼は苦を脱れただけでなくそ の後は二度と苦は生じない。苦の滅は、逆戻りすることの無い性質のものだからである。 たとえば、一旦大人になった人が子供に逆戻りすることが無いようなものである。

ここで、なぜ人が苦の真実を知ったとき直ちに苦の原因とその解決を見るのであろう か。説明は難しいが、それが法(ダルマ)だからであると言うことになる。したがって、 人が苦を滅し得るかどうかは苦の真実を知ることができるかどうかにかかっていると言 えよう。

苦は、必ず滅することができるものである。何となれば、苦もまた無常だからである。 これが、苦について持つべき世界観である。

(以上引用)






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