#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第32章 修行僧 80偈

80 いかなる煩悩の潜勢力ももはや存在せず、悪の根の滅びてしまった修行僧は、こなたの岸を捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

「潜勢力」は、私にはあまり聞きなれない言葉でしたから、一応、ネットで調べてみました。「内にひそんでいて、外に表れない勢力。」などと書いてありました。

「煩悩の潜勢力」は、外に表れない煩悩です。それがもはや存在せず、とは悪の根がなくなっているのです。

「悪の根」については、昨日説明しました。繰り返して述べれば、「悪の根」とは、諸々の煩悩の根です。名称(ナーマ)と形態(ルーパ)と言われるものです。これは、想(表象作用)と行(形成作用)に相当します。

これらがなくなった修行僧は解脱しているのです。

後半は、「こなたの岸を捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」とありますが、スッタニパータの蛇の章では、「この世とかの世とをともに捨て去る。_____蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」となっています。

この違いは、ウダーナヴァルガでは「かの世」(=あの世)を想定していません。スッタニパータでは「かの世」を想定しているということです。

どちらにしても、捨て去った世界はニルヴァーナ(涅槃)なのです。

付け加えて説明すれば、ニルヴァーナ(涅槃)には時空は存在しませんから、過去世も現世も来世もないのです。




この記事へのコメント

後藤
2020年05月03日 08:42
おはようございます。

ルーパ(色)とは、五蘊の色蘊(身体)の事で、
詰まり、地水火風から構成される四大種と四大種所生の色であると、相応部経典で釈尊は定義しています。

そのルーパ(色)がなぜ、四蘊の行蘊に相当するのでしょうか?
法津如来
2020年05月03日 10:36
後藤さん、おはようございます。

質問にお答えします。

例えば、スッタニパータ872を参照してください。
「名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る。欲求がないときには、<わがもの>という我執も存在しない。形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。」

この場合、形態を身体と考えるべきでしょうか? 身体が消滅したときには<感官による接触>ははたらかないと考えるべきなのでしょうか? 死んだときには感官による接触はありませんが、そのようなことをブッダは言いたかったのでしょうか?
よく考えてください。
いつでも、どこでもルーパは身体と理解するのは単純すぎます。
2020年05月03日 19:39
最終解脱とは

お腹から雲のようなものがわく

その雲から

「なにか」

と訪ねる雲のようなものがわく

その雲が頭のスイッチを入れようとした瞬間に

気づく

気づいた瞬間

胸にとどまっていた心(エネルギー)が頭に飛ぶ、エネルギーを受けた頭が、その雲を殺す。

最終解脱です

体は体

頭は頭

で独立する

すると心は生まれない
2020年05月03日 19:49
体から頭には

「なにか私の為にすることないですか?」

というようなものが

頭に行くんです

「なにか私の為にすることないですか?」

というようなものに

頭のスイッチを入れられたら

手遅れで

解脱は出来ません

「なにか私の為にすることないですか?」

というようなものが

頭のスイッチを入れたら手遅れ。

「体の為に何か」

と頭は既に回転させられちゃったんだから

もう解脱無理
2020年05月03日 19:55
例えばなしでいくなら

街頭でティッシュ配りを誰かがしてる

「なにかな」

と思うなら

もう相手に既に侵入されてる

そのように

体の現象に対して

「なにかな」

と思った時点で既に体に侵入されてる

侵入された頭で解脱は不可能

既に侵入されてるんだから
2020年05月03日 20:06
ナーマとルーパはその辺りなんです

ナーマとルーパのことで議論してる時点でナーマとルーパから解脱出来てません

ナーマとルーパの手前で気づき

ナーマとルーパから解脱する能力がなきゃダメ

街頭でのティッシュ配りを感じて

「なに?」

と思ったじてんが

ナーマとルーパ

既に相手に潜入されていて

既に潜入された頭で解脱は不可能

既に潜入されてるんだから
2020年05月03日 20:19
体の現象感じて

「なに?」

と頭が回転した時点が

ナーマとルーパなんだから

その手前で気づき解脱するべきです
2020年05月03日 20:23
追記しておけば

体の現象感じて

「なに?」

と頭が回転した時点で

頭と体のやり取りは既に始まったんだから

どこにエネルギー入れるか?

が始まるから

心もうまれてる

解脱からは手遅れ。
2020年05月03日 20:27
体は体

頭は頭

で独立してる

争いも、結託も

ない

心は生まれない

涅槃の境地

そのまま入滅までもいける
2020年05月03日 20:28
のが

最終解脱者阿羅漢です
後藤
2020年05月04日 04:29
ブログの質問に関してメールさせて頂きましたが、ルーパの議論の途中でしたので、コメントとして再掲させて頂きます。

878.

‘‘Nāmañca rūpañca paṭicca phasso, icchānidānāni pariggahāni;

Icchāyasantyā na mamattamatthi, rūpe vibhūte na phusanti phassā’’.

879.

‘‘Kathaṃsametassa vibhoti rūpaṃ, sukhaṃ dukhañcāpi [dukhaṃ vāpi (sī. syā.)] kathaṃ vibhoti;

Etaṃ me pabrūhi yathā vibhoti, taṃ jāniyāmāti [jānissāmāti (sī. ka.)] me mano ahu’’.

880.

‘‘Na saññasaññī na visaññasaññī, nopi asaññī na vibhūtasaññī;

Evaṃsametassa vibhoti rūpaṃ, saññānidānā hi papañcasaṅkhā’’.

柴田さんから、以下の回答を頂きました。

880.

想想者でもなく、無想想者でもなく、

無想有情でもなく、無有想者でもなく、

そのように正しく無色界禅定に到達している時、色はない。

なぜなら、想を因として障碍(愛、見、慢)が起きるからです。


つまり、障碍(愛、見、慢)が起きる理屈を理解し、

正しく無色界禅定に入定していれば、もしくは、そこへ転生すれば、

色(想)を滅し、苦楽も滅することが出来ますと仰っているのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

以上、引用となります。

柴田さんの解釈から判断してみても、

ルーパは身体の事を指している事に間違いは無いと思います。

お釈迦様が定義されている事に対して、別にあえて穿った見解を立てる必要はないと思います。

ルーパをサンカーラとして立ててしまったら、五蘊の説明が滅茶苦茶になる危険は自明です。


それと、2月にメールをして、返信を頂きました。ありがとうございました。

それに対する返信が出せずじまいで、すみませんでした。

ブッダかずひさの件でしたが、
私の記憶では、西津さんが彼はブッダではなく、阿羅漢であると断言していました。

ですが、彼は滝行の苦行を推奨したので、戒禁取があり、預流果ですらないというのが私の結論です。

斉木さんも、阿羅漢でないと思います。
なぜなら、阿羅漢を授記した当人である西津さん、そして白川さんに対してまで死後は地獄行きである旨、如来方に対する大変失礼な断言のコメントをしていたからです。

また阿羅漢であれば、仕事をせずに出家者になるのが釈尊時代の流れですが、出家せずに求職活動をしている。

数々の矛盾が露呈していると思います。

何よりも、輪廻転生及び業異熟の否定は、ご存知の通り、大四十経の十邪見に該当します。

西津さんがもし、何か勘違いをされていた場合、斉木さんの言う通り、死後は地獄に行く可能性が高いと思われます。

上記の理由から、私は西津さんや白川さんがブッダだとは到底思えません。
ブッダかずひさ同様、預流果にすら到ってないと思います。

また、私が西津さんとお会いした時、会話の最中に西津さんが、うつむき加減でストローの紙袋を指でいじくり回していたのを見て、掉挙の表れだと感じられました。


西津さんは、斉木さんの言うように、洗脳状態にあると思います。

釈尊の正法を正しく理解できなかったので、
正法を曲解して、大乗思想で洗脳されてしまったのだと思います。

ですが、そんな事は世の中ざらにある事だと思います。


私が申し上げたいのは、ブッダになる必要性など全く無い。
必要なのは、輪廻転生が説かれた事を潔く認得し、そこ(苦)から解脱する事が全てだという事です。

ですので、西津さんに目を覚まして欲しいのです。

元テーラワーダ仏教僧侶として、大変残念なように思えてなりません。

釈尊を信じるよりも、白川さんに傾倒してしまったのは、悲しく気の毒な事だと思います。

大変失礼に感じられるかもしれませんが、
麻原彰晃は阿含経典から釈尊の正法を引用し、曲解し説法しました。
白川さんがした事はそれと同じです。

白川さんの正法では、人は本来優しいと謳っていますが、

ヒトラーの残虐非道の蛮行は、一体どう解釈しますか?

広島、長崎への原爆投下は、本来優しい人がするべき行為でしょうか?

人ではなく、むしろ鬼、悪魔の行為だと言えます。地獄に落ちる最悪の悪行為です。

冷静に客観的に観察すれば、
貪瞋痴(悪)に傾き、染まり易いのが、人の姿だと思います。

性善説でもなく性悪説でもなく、
中道で現実を観るべきだと思います。

マハー・パリニッバーナ・スッタンタで「教師に握り拳は存在しない」と釈尊が仰ってますが、

法の句のような何やら謎めいた教えが存在している事は、経典では、なぜハイライトされていないのでしょうか?

解脱のキーワードであれば、釈尊も白川さんと同様に、何度も比丘に説いていたはずだと思います。

白川さんは差別的だと思います。

耳の不自由な人は、解脱できないと言っているのと同じですから。
それは、人を悲しませる正法です。
hal
2020年05月04日 09:03
手術台の上の 患者 を
医学書 医術書 で
執刀 出来るでしょうか。
斉木広之
2020年05月04日 09:10
ゴータマ・ブッダ。

教えの父である
父に教わるは息子である

息子には兄弟がいる

兄もいれば弟もいる

時に母もいる
斉木広之
2020年05月04日 09:20
その中でごちゃごちゃ思う自体が、おかしい。

教えの父はゴータマ・ブッダですよ

ならばごちゃごちゃ思う自分はなんですか

どこをみてますか

ごちゃごちゃ思う時点で

その時ゴータマ・ブッダをみていない

貴方は誰の息子ですか

誰から生まれた今の貴方ですか

後藤
2020年05月04日 11:27
研修医は、一人前のドクターとしてオペに臨む以前に、
まずは正しい医学書等で、正しい知識を正しく学ぶ必要があります。

それと同様に、未聞の凡夫は、解脱以前に、
戒定慧(八正道)という三学を、正しく修する必要があります。
hal
2020年05月04日 15:39
なに で あれ
誰の 言 であれ

それ に

とらわれては
縛られては

ならないのではないでしょうか と

そのような こと を
申したく おもいました。

ありがとう存じました。
自分
2020年05月04日 22:26
誰が死んだって、自分が死んだって、自分には一切苦はない。

貴方は自由です

自分からは

さようなら