#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第33章 バラモン 1偈

1 裸の行(ぎょう)も、髻(まげ)に結(ゆ)うのも、身が泥にまみれるのも、断食も、露地に臥すのも、塵や泥を身に塗るのも、蹲(うずくま)って動かないのも、___疑いを離れていない人を浄めることはできない。 

(ダンマパダ141 裸の行も、髻に結うのも、身が泥にまみれるのも、断食も、露地に臥すのも、塵や泥を身に塗るのも、蹲って動かないのも、___疑いを離れていない人を浄めることはできない。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

今日から、感興のことば(ウダーナヴァルガ)の最後の章「バラモン」になります。ダンマパダの最後の章も「バラモン」です。過去に「バラモン」について次のように解説しました。
https://76263383.at.webry.info/200909/article_25.html

(以下引用)
この詩から、ダンマパダの最後の章、「バラモン」になります。バラモンとはインドにあるカースト制で最上の階級を意味します。しかし、釈尊はインドの伝統的なバラモンではなく、最高の階級に相応しい人々をバラモンと呼ぶと宣言したのです。ですから、仏教においては、バラモンと呼ばれる人々は阿羅漢であるべきなのです。

 バラモンは、因縁の流れを断ち切って、もろもろの欲望を断ち切って、もろもろの現象は生じても、消えるものであることを知って、現象を越えたもの・・・すべての現象に対するすべての執着を捨てて、・・・涅槃の境地を体得した阿羅漢であれと釈尊は述べられておられるのです。

(以下引用)

SRKWブッダはブッダ(仏)と阿羅漢とは区別されておられますが、ここでは区別せずに、述べることにします。

さて、今回の1偈ですが、当時のインドの解脱を求める修行者は、それぞれの思想に基づいていろいろな苦行を行なっていたのです。その具体例が、裸の行(ぎょう)や、髻(まげ)に結(ゆ)うこと、身が泥にまみれること、断食、露地に臥すこと、塵や泥を身に塗ること、蹲(うずくま)って動かないことです。

しかし、これらの苦行では、浄めることはできないのです。すなわち、これらの苦行では解脱することはできないということです。

「疑いを離れていない人を浄めることはできない。」・・・信が確立していない人は解脱できないということです。 




この記事へのコメント

自分
2020年05月06日 08:38
昨夜は四月の給料を前借してお米を買ってハムカツを買って味噌ラーメンを買って、玉子豆腐を買って、インスタントコーヒーを買って、二人でお腹に入れました。タバコも買いました。

疑い無く二人共死ぬけど

疑い無く食べました

疑い無くこれから歩む人の為に最後まで生きます。