#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第33章 バラモン 60偈

60 バラモンよ。流れを断て、勇敢であれ。諸の欲望を去れ。つくり出された諸の現象の消滅を知って、汝は、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知る者となるだろう。

(ダンマパダ383 バラモンよ。流れを断って。勇敢であれ。諸の欲望を去れ。諸の現象の消滅を知って、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知る者であれ。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

ダンマパダ383について、以前解説を書いています。
https://76263383.at.webry.info/200909/article_25.html

その時は、解脱以前でしたから、次のように書いています。
「このバラモンの章は阿羅漢の境地が多く述べられます。この境地を体験してない私には荷が重いのですが、なるべくこのブログを読む方が、誤解をしないように注意して書くつもりでが、分かってない者が書いているという前提で特に、この章はお読み下さい」

その時の解説では、「流れを断て」を「因縁の流れを断ち切って」としてありましたが、「流れ」とは「愛執」を意味しているのです。以前の解釈をここで訂正します。

「勇敢であれ。」は「努力せよ。」というほどの意味です。

諸々の現象は作り出されたものでありますが、ニルヴァーナ(涅槃)は作り出されたものではないのです。




この記事へのコメント

自分
2020年07月02日 12:29
作り出されたものがない=ネハン

生まれてない=ネハン

認識する本体がない=ネハン

ネハン後もう一度「生きとし生けるものが幸せでありますように」を起こす

生きとし生けるものが幸せでありますようにの人から始まる

ダンマパダ2番
自分
2020年07月02日 17:13
みんな泥遊びしてます。俺も汚れてる、お前も汚れてる、同じ仲間だ、とね。

そこから1人抜けて、家で風呂に入り泥を一切なくす

ここで自分は気持ちいい、泥遊びしてる人には教えない

というなら、自我であり、泥がないことへの固執(汚れであり)なんです。

自分1人で泥を一切落としたなら、以前の仲間にそれを教える

なぜなら、そのために、泥仲間から抜け出して、泥を一切落としたのだから

この人の動機に最初から今まで汚れがないんです
自分
2020年07月02日 17:21
「生きとし生けるものが幸せでありますように」先ず自分が最終ゲダツそれからネハンするしかない

そうしないと

「生きとし生けるものが幸せでありますように」生きとし生けるものに教えられないから

そうしたんです

自分です

一貫して「生きとし生けるものが幸せでありますように」を貫いた、今も貫いてるだけです

その為に

最終ゲダツも通り

ネハンも通り

今「生きとし生けるものが幸せでありますように」教えてるんです

最終ゲダツ後

初めて「生きとし生けるものが幸せでありますように」役にたってるんです

その為に最終ゲダツがあったんです

なぜなら今「生きとし生けるものが幸せでありますように」実践できてます

この為に最終ゲダツもネハンもあったんです

最初から一貫して動機は「生きとし生けるものが幸せでありますように」
自分
2020年07月02日 17:25
最初の動機が

「生きとし生けるものが幸せでありますように」ではなく

「自分が幸せになりたい」ならば完成は完璧な自我の完成。

最初の動機が如何に大切か

ということです
自分
2020年07月02日 17:34
貧しい村があったとする

その中にいては貧しさから抜け出す知恵は現れないと知り

村を出て大学に行った

そこで貧しさから抜け出す知恵を得た

そこで自分1人貧しさから抜け出し幸せだといったその者は最初から今まで一貫して自我で最後は自我の完成に至った

もう1人は

貧しさから抜け出す知恵を習得しすぐさま目的である村に行き教えた

生きとし生けるものが幸せでありますようにが動機で

そのために先ず自分が実践した

実践できたところで動機である

生きとし生けるものが幸せでありますように実践した

これが自分です
自分
2020年07月02日 17:39
泥遊びしてる仲間から抜けることは、泥仲間にしたら裏切りです、捨てた、捨てられた、です

しかし真に泥仲間をおもうなら先ず自分が1人泥を落としに行き完成したなら、泥仲間に教える幸せを

この人は誰も捨ててない裏切ってない

それが今の自分です