#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第33章 バラモン 61偈、62偈

61 (「妄愛」という)母と(「われありという想い」である)父とをほろぼし、国王(「われ」という慢心)と(永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という)二人の博学なバラモンとをほろぼし、(主観的機官と客観的対象とあわせて十二の領域である)国土と(「喜び貪り」という)従臣とをほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。

62 (「妄愛」という)母と(「われありという想い」である)父とをほろぼし、(永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という)二人の博学なバラモンをほろぼし、第五には(「疑い」という)虎をほろぼして、人は<浄められた>と言われる。
 

(ダンマパダ294 (「妄愛」という)母と(「われありという慢心」である)父とをほろぼし、(永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という)二人の武家の王をほろぼし、(主観的機官と客観的対象とあわせて十二の領域である)国土と(「喜び貪り」という)従臣とをほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。)

(ダンマパダ295 (「妄愛」という)母と(「われありという慢心」である)父とをほろぼし、国王(「われ」という慢心)と(永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という)二人のバラモン王をほろぼし、第五には(「疑い」という)虎をほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

カッコの中は訳者の注釈です。読みにくいので、注釈を除くと以下のようになります。

61 母と父とをほろぼし、国王と二人の博学なバラモンとをほろぼし、従臣とをほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。

62 母と父とをほろぼし、二人の博学なバラモンをほろぼし、第五には虎をほろぼして、人は<浄められた>と言われる。

この内容では意味が過激なので、母や父などは何かの象徴であることがわかります。その意味を知るためには注釈が必要です。

2010年6月5日、これらの偈によく似たダンマパダ294と295を解説しました。
https://76263383.at.webry.info/201006/article_5.html

(以下引用)

 「殺仏殺祖」(仏に会ったら仏を殺せ。祖に会ったら祖を殺せ。)という言葉が禅語にあります。ずいぶん、過激な言葉と思いましたが、その起源はダンマパダの294番、295番にあったのかもしれません。

 今回の二つの詩の、母、父、二人の王、王国と従臣、五頭目の虎、これらの言葉はすべて、ある概念を象徴する言葉なのです。ですから、それを知らなければ意味が分かりません。先ずそれを調べましょう。

 母とは、渇愛の象徴です。渇愛に縁って輪廻、生命の再生が起こるからです。
 父とは、慢心の象徴です。(自我と言ってもよいと思います。)
 二人の王の一人の王は、無常なるものを永遠不滅と見る常見の象徴であり、もう一人も王は、死んだらすべて終わりと見る断見の象徴です。
 王国とは、眼、耳、鼻、舌、身、意、色、声、香、味、触、法の12処の象徴です。
 従臣とは、喜びと貪りの象徴です。
 経聞者とは、聖典に通じて知識を誇ることの象徴です。
 五番目の虎とは、解脱を妨げる五蓋の五番目、「懐疑」の象徴です。(前回は五番目の虎とはしないで、五頭の虎として、五蓋の象徴として訳しましたが、文法的に単数ですので、五番目として改訳して、誤りを訂正いたします。)

 はじめの「殺仏殺祖」は直接この詩とは関係はありませんが、書いた以上どのような意味か気になる人もおられると思いますので、一応の解釈を書いておきま す。「仏や祖師というものに執着している限り、真理に気づくことが無い。」ということで、仏や祖師方の言葉にさえ執着してはいけないと意味だと理解してお きます。

 「母と父を殺し」。 なぜ、この詩は過激な言葉から始まるのでしょうか。第一にぼんやりしている私たちに喝を入れるためではないでしょうか。この言葉を聞くと、何を言っている のか考えます。またこの母は渇愛のことですが、自分の渇愛は本当の母以上に殺せないものです。私たちは渇愛で生きているのです。渇愛をエネルギーにして生 きているのですから、渇愛を殺すことなどできないのです。できないことですが、渇愛こそが苦しみの原因なのです。父とは慢心の象徴です。慢心は自我から生 まれます。自我は父以上に殺すことが困難なのです。

 渇愛には3種類あります。欲愛と有愛と無有愛です。有愛は「なんとしてでも生きたいとい気持ちです。」 これは「二人の王」の一人、常見に基づく想いで す。無有愛は「死んでしまいたい」という気持ちで、もう一人の王の象徴である断見に基づくものです。死んだらすべて終わりだという見解です。二人の王を殺 すことは、この間違った見解を捨てることなのです。渇愛を殺すために必要なことなのです。

 渇愛の第一は欲愛です。欲愛はどこから生まれるのでしょうか?それは王国なのです。眼、耳、鼻、舌、身、意に、色、声、香、味、触、法が触れる所から生 まれるのです。そこには従臣(喜びと貪り)が居るのです。欲愛を殺すには、王国と従臣を殺す必要があるのです。つまり感官を防護することです。

 感覚の防護は、渇愛を殺し、解脱への道なのです。しかし、この道を妨げる五頭の虎がいます。
この虎は五蓋といわれ、欲、怒り、だらけと眠気、混乱と後悔、懐疑の5つです。 この五頭の虎を退治する必要があるのです。先ず、五頭目の懐疑を退治することが大切です。なぜならば、懐疑はブッダが教えるこの道筋を疑う懐疑だからで す。ブッダの教えに対する懐疑を殺してこそ、確信を持って、この道を進めるからです。

 バラモンと言われる阿羅漢聖者は、これらのことを実践して、涅槃への道を進んだのです。

(以上引用)

なお、2010年6月5日のブロブ記事には、チューラパンタカさんのコメントがありました。
チューラパンタカさんは、最近コメントしてくださる自分さんに、私がつけた名前です。懐かしいですね。





この記事へのコメント

自分
2020年07月03日 10:48
【(私の)父】という観念

【(私の)母】という観念

を滅ぼし

滅ぼすことをなした自分を滅ぼし

私の心の師匠

私の体の師匠

という観念を滅ぼし

自分自身の腹を滅ぼし

最終ゲダツ
自分
2020年07月03日 11:32
母は自分にこうすべき(私の母だから)

父は自分にこうすべき(私の父だから)

を滅ぼし

しかし

見ず知らずの初対面の素性も性格も知らない人に

命を助けてもらっても

「命の恩人」なんです

父母を滅ぼせば

その人達は

命の恩人

なんです
自分
2020年07月03日 11:40
自分自身の腹を滅ぼしたなら

過去は全て崩壊する

食べさせる為に

父も母も働いたのだから

それに感謝していた自分

過去一切全て崩壊します

妄執だったんだ

過去の感謝も全て

となる

食べるからゲダツしたら

食べさせる為に生きてきた人

それに感謝した自分

全てが妄執にいたる
自分
2020年07月03日 11:44
自分を生かす為に動いた人

それに感謝していた自分

全てが崩壊する

生きたい、が消えると

過去一切妄執だったんだとなる
自分
2020年07月03日 13:08
国土(お腹)と

従巨(頭)

を滅ぼして
自分
2020年07月03日 13:13
(国土に)貯え蔵することなく

空にして無相なる

ゲダツの境地を得た者らの(無常だから者ら)

かかる行方は辿りがたい

空飛ぶ鳥の行方の如く
自分
2020年07月03日 13:17
「また」がない

全てが初めて
自分
2020年07月03日 13:27
「生きとし生けるものが幸せでありますように」の心の完成もない

生きとし生けるものは無常だから

一秒前に「生きとし生けるものは幸せでありますように」の心に至っても

一秒後に一秒前の生きとし生けるものは存在しない

「怠ることのない修行のみ」無常においても完成された状態

生きとし生けるものが幸せでありますように自分だけがきをつけるなら「食べる」からゲダツすればいい、うろうろ歩き回って生きとし生けるものを踏んだりして殺すこともない
自分
2020年07月03日 13:41
彼女もそろそろ幸せに至りそうな雰囲気

俺といるより

自立してる方が幸せ

と至りかけてる

自由を得そうな雰囲気

自由を全力で与えてきたが

そろそろ自立が真の自由と至りかけてる

慈しみ(俺たち仲間)から始まり

悲しみを共有し

喜びとなり

その次自立しか自由への道はない

数人過去から接してきたが

必ずこのながれになる

最後の職業最後の仕事をこの間終わり

最後の彼女と今付き合ってるが

自由を自ら自分で手に入れるであろう