SRKWブッダ著「仏道の真実++」人生観

(以下引用)

【人生観】

 人生を歩むとは、生まれ、育ち、学び、伴侶や友人を得、金銭を手に入れ、財物を所有し、幸福を求めて日々を生きることであると言えよう。そして、仏道を歩むとは、覚りへの求めを生じ、発心し、功徳を積み、善知識を得て、この世の最上たるしあわせの境地に達して住するということに他ならない。

 さて、ここで仏道を歩むことが人生の歩みそのものとなる人がある。彼は、もちろん自分自身でその生き方を選んだわけであろうが、その人生の選択は称賛に値するものである。何となれば、人生においてこの選択を為す人は本当の意味で慧眼のある、世に得難い人だと言えるからである。

 このとき、別に世俗を離れることを考える必要はない。何となれば、いわゆる在家であっても何ら支障なく仏道を歩むことができるからである。すなわち、仏道を歩むことと生活の糧として職業を持つこととは、互いに排他性の無い、独立なことがらであると言えるからである。

 もちろん、彼は片手間に仏道を歩んでいるわけではない。ある意味では自分のすべてを賭けて、心底から仏道を歩む気持ちを起こしているのである。すなわち、彼はしあわせの境地たるニルヴァーナに至ることを人生の目標としているのである。

 このような人生を送る人は、すでにそれだけでしあわせであると言えよう。彼は、楽しみと栄えとともに修行生活を送り、ついにはしあわせの境地たるニルヴァーナへと到達するであろうからである。そして、万が一、ニルヴァーナに到達することができなくてもその人生は豊かな道の歩みとなるであろう。

 読者は、その一人である可能性が高い。もしそうであるならば、すでに仏道を見出して歩んでいるかも知れない。そのような人のために、私は本書を書いた。

(以上引用)


*法津如来のコメント

この文章の要点は、「人生を歩むとは、生まれ、育ち、学び、伴侶や友人を得、金銭を手に入れ、財物を所有し、幸福を求めて日々を生きることであると言えよう。そして、仏道を歩むとは、覚りへの求めを生じ、発心し、功徳を積み、善知識を得て、この世の最上たるしあわせの境地に達して住するということに他ならない。」ということです。

その上で、仏道を歩むとき、私が誤解しないでほしいと思うことは、「別に世俗を離れることを考える必要はない。何となれば、いわゆる在家であっても何ら支障なく仏道を歩むことができるからである。すなわち、仏道を歩むことと生活の糧として職業を持つこととは、互いに排他性の無い、独立なことがらであると言えるからである。」ということです。