SRKWブッダ著「仏道の真実++」仏道を歩むことが難しい要因(2)

(以下引用)

【仏道を歩むことが難しい要因】(2)

 ところで、ともあれ仏道を歩む気を起こして歩み始めた人においても別の難しい問題が待ち受けている。

 それは、仏道の歩みの終局において幾つかの困難があるためである。その最も大きなことは、覚りが因縁によって起こるという事実であろう。この因縁ということが修行者には分かり難く、これをどうすれば培うことができるのかの理解とそのための実践は雲を掴むような話になりやすい。しかも、その努力の成否が修行者によって分かれるという現実も待っている。

 ここで、覚りのメカニズムについて概要を述べておきたい。

 1 発心(第一の善知識に出会う)
 2 善知識に出会う
 3 解脱(覚る)

 この3番目の、解脱が起こるために必要となるのが覚りの因縁である。これはつまり、他のすべての条件が整っていたとしてもこの因縁がなければ覚りは生じないということである。このことが、修行者に一抹の不安を感じさせる要因となっているに違いない。要するに、自分の修行を完成させることについて自信が持てるかどうかという問題である。

 さて、この覚りの因縁は、最初からあるものではなく功徳を積むことによって培わなければならないものである。ところが、それが充分に培われているかどうかは修行の途中では判断できず、道の歩みの最後の局面に臨んで初めてその可否が分かることになる。すなわち、ことに臨んだとき、功徳が充分に積まれていれば覚りを生じるが、そうでなければ覚りは生じないという現実が突きつけられることになる。このことは、確かにある修行者にとっては怖いことかも知れない。それでも、修行者は勇気を持ってこの重大な局面に臨まなければならない。

 さらに、仏道を歩むことにおける重要な要素である善知識との出会いも、用意周到には行かないことがらである。それは、善知識の出現が世に希有なることであるという事実によるところが大きい。また、気をつけていなければその出現を感知することができないということも指摘しておかねばなるまい。このようなことから、誰でも簡単に覚りに達するわけではないことはその通りである。

 それでも、読者は心配しないで欲しい。これらのことは、しっかりと気をつけていさえすればクリアできることだからである。善知識との遭遇の機会も、覚りの機縁についても、一度しか無いわけではなく人生において何度か訪れると考えて差し支えないからである。そのどれかで解脱すればよいわけである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

仏道を歩むことが難しい要因のもう一つは、「覚りが因縁によって起こるという事実であろう。」と説かれています。

「覚りが因縁によって起こるという事実」が困難の要因になる理由は二つあると法津如来は考えています。

その一つは、多くの修行者は「覚りが因縁によって起こるという事実」を知らないとということです。多くの修行者は、ある修行法を実践すれば覚れると考えているのですが、そうではないのです。覚りは因縁によって起こるのです。

もう一つは、修行者が覚りが因縁によって起こるという事実を知ったとしても、ではどうしたらよいのかわからないという点です。

その答えは「SRKWブッダ著「仏道の真実++」全体で説かれているのですが、SRKWブッダその要点をこの文章で述べておられます。

そして、最後に「それでも、読者は心配しないで欲しい。・・・・・」と励ましの言葉を添えておられます。

尚、文中の「善知識」とは、法の句(覚りの縁になる言葉)を呟く人です。それがどのような人かわかりません。わたしの場合はわたしの9歳の孫でした。





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