SRKWブッダ著「仏道の真実++」賢者の道(12)

(以下引用)

【賢者の道】(12)

 ● 修行の紆余曲折を気にすべきではない。最初から最後まで一直線に、用意周到に道を歩む修行者などありはしない。仏道はまっすぐに歩めと説かれるが、実際には、その歩みは遍歴修行であり当然に紆余曲折が伴う。この紆余曲折には、たとえば経典に疑問を持ったり、生き身のブッダに疑義を呈したりすることも含まれる。何があっても、最終的には正しい道に至ると信じて、自分の遍歴修行に邁進すべきである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

ゴータマ・ブッダも遍歴を勧めています。スッタニパータ第2 小なる章には「正しい遍歴」という経があります。

また、「よく気をつけて、修行者は遍歴すべきである。」という言葉はスッタニパータの741偈、753偈、1039偈など、何度も繰り返されて述べられています。

パーリ仏典経蔵中部の第26経(聖求)には、ゴータマ・ブッダの遍歴の様子が詳しく書かれています。

私(法津如来)の遍歴については、昨日述べたことテーラワーダ仏教の修行の前には、道元禅の修行、仙道の修行などがあります。



この記事へのコメント

m
2020年08月28日 09:19
法律如来さんおはようございます。
もともとが同じゴータマ・ブッダの教えの修行場所でも遍歴する必要があるんですね。それは何を故(ゆえ)にしますか?教えが欠けていたり変質してしまっているからでしょうか?昔と違ってそこに所属していても托鉢しながら自由に遍歴できる環境がないからでしょうか?それとも、師がゴータマ・ブッダなら変える必要はないがそうじゃない場合自分に合った師を探すことが大事だからでしょうか?
法津如来
2020年08月28日 17:39
mさん、こんばんは。
今日は外出しましたので、ご返事が遅くなりました。
ご質問にお答えします。

ブッダの教えを正しく理解することは、ブッダの弟子たちも解脱してからなのです。
それまでは、弟子たちも、遍歴修行する必要があります。

教えが欠けていたり変質してしまっているからではありません。正しく理解できないからです。

「昔と違ってそこに所属していても托鉢しながら自由に遍歴できる環境がないからでしょうか?」の問いについては、托鉢が遍歴修行ではありません。遍歴とは、自分の根本的な問いに対して、いろいろな探求方法で、探求することです。

「師がゴータマ・ブッダなら変える必要はないがそうじゃない場合自分に合った師を探すことが大事だからでしょうか?」の問いについては、自分に合った師を探すことが大事だからではありません。もちろん、自分にあった師に遭遇できれは、それに越したことはありませんが、善知識に遭遇して、法の句を聞くためです。それができてこそ、解脱できるからです。

m
2020年08月28日 18:52
丁寧にご回答いただきありがとうございます。
反芻しながらじっくり考えてみます。
ありがとうございました。
まだまだ暑さも厳しいようなので、お身体にお気を付けてお過ごし下さい。