SRKWブッダ著「仏道の真実++」右も左もわからない修行者へ(4の3)

【右も左もわからない修行者へ】(4の3)

 ◇ 修行

 仏道を歩み始めたばかりの人は、修行することが道の歩みそのものであろうと考えているかも知れない。もちろん、それはその通りなのであるが、知っておかなければならないことは、この世には固定的な修行法など何一つ存在していないという事実である。そして、この点がおそらく仏道を歩もうとする人を混乱させる一つの要因となっているのであろう。ここで、固定的な修行法が存在しないというのは、要するに、「これを履修せよ」などというようなカリキュラム的な修行法が存在していないということである。では、修行の実際とは何であるのか。読者は、知りたいであろう。

 仏道を歩むための修行は、「遍歴修行」と呼ばれるものである。これについては後の章で詳しく述べるが、人をしあわせの境地に導く真理を求めてさまざまに研鑽したり考究したりすることが遍歴修行の意味するところである。したがって、修行は基本的に本人の自由な意思に任されており、要するに知りたいところから学びを進めて行けば良いということである。このため、その学びは必然的に紆余曲折を伴うものとなるのであるが、それが修行の遍歴となるわけである。そして、人と世の真実を見極めようと努力する中で次第次第に功徳が積まれることになる。そして、あるときに機縁を生じ、ついに覚りに達することを得る。これが、覚りに向けた修行の全貌である。

 このようなことから、「修行法を教えて下さい」とか「何を修行すれば良いのですか?」などという問いは意味をなさない。なぜならば、それを自ら見出そうと努力することそれ自体が修行だからである。このため、修行においては師さえ必要ではない。修行者は、最初から最後まで自分自身で道を歩めば良く、基本的にはそうでなければならない。ただし、もちろん、その道の歩みは理法に適ったものでなければならない。


*法津如来のコメント

今回は右も左もわからない修行者へのアドバイスの第3回目ですが、実は修行初心者ばかりでなく、むしろベテラン修行者にとって重要な内容なのです。何故ならば、多くの修行者が修行について勘違いしているからです。

多くの修行者は、ある特定の修行法を実践すれば、覚れる、解脱できると勘違いしているのです。その為に、覚るための修行法を詮索したり、特定の修行法に執著して、無意味は努力を続けているのです。それは残念なことです。

本文の要点を再度引用すると次の通りです。

「修行は基本的に本人の自由な意思に任されており、要するに知りたいところから学びを進めて行けば良いということである。このため、その学びは必然的に紆余曲折を伴うものとなるのであるが、それが修行の遍歴となるわけである。そして、人と世の真実を見極めようと努力する中で次第次第に功徳が積まれることになる。そして、あるときに機縁を生じ、ついに覚りに達することを得る。これが、覚りに向けた修行の全貌である。」


<お知らせ>
昨日のブログ記事の「スッタニパータ189」に関するURLが間違っていましたので、昨日(8月4日正午)に訂正しました。ご指摘いただいた読者には感謝申し上げます。また、昨日午前中にお読み頂きました読者にはお詫びいたします。



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