SRKWブッダ著「仏道の真実++」仏道を歩むことが難しい要因(1)

「仏道を歩むことが難しい要因」を二回に分けて引用します。

(以下引用)

【仏道を歩むことが難しい要因】(1)

 高速道路の上りにしたがって車を走らせさえすれば、東京に辿り着く。そして、車で東京に向かう道としては、これが最短かつ最も効率的な道である。日本の道路事情を知る人であれば、このことに疑いはないであろう。

 仏道を歩みさえすれば、誰もがしあわせの境地たるニルヴァーナへと至る。そして、この一なる道は人が最短で目的地に到達する道であり、この世ではこれ以外の道によっては目的は達せられない。仏教徒であれば、このことに疑いはないであろう。

 事実、仏道を歩みさえすれば誰もがしあわせの境地に達し得ることは間違いないことである。また、仏道を歩むことそれ自体が楽しみと栄えを伴うことであるとも説かれる。このようなことから、人々が仏道を歩まない理由はない筈である。にも関わらず、実際には多くの人々が仏道を歩むことをしない。これはなぜであろうか。

 それは、

 「仏道を歩みさえすれば誰もがしあわせの境地に達し得る。また、仏道を歩むことそれ自体が楽しみと栄えを伴うことである。」

ということが信じ難いと言うことに尽きるであろう。つまり、仏教への疑いを残しているということである。

 もちろん、もし覚りが虚妄なるものであるならばこの疑いを生じるのも当然のことであろう。しかしながら、覚りは虚妄ならざるものであることは、実際に覚りを生じた人にとっては明らかなことなのである。そして、そのことは、釈尊以来複数のブッダが知り得たままに説いていることである。

 すると、人々が仏道を歩むことに二の足を踏む理由は次のようなことしかあるまい。

 ○ 覚りを説くブッダが信用できない。
 ○ 覚りの実在が信じられない。
 ○ 覚りの存在は本当かも知れないが自分が覚れるとは思えない。
 ○ 他に簡便にしあわせに至る道があるように思える。
 ○ 得るものよりも無くすものの方が大きいような気がする。
 ○ 明確な理由は無いが仏道を歩みたくない。

 ここで、世間を見るに、意外にも最後の「明確な理由は無いが仏道を歩みたくない」人が多いことに気づかされるのである。まるで、子供が「大人になりたくない」「子供のままでずっと楽しんでいたい」などとわがままを言うようなものである。これは、要するに世の人々が苦に安住していて苦悩から脱却しようという気持ちに欠けていることを意味しているのであろう。

(以上引用)


*法津如来のコメント

SRKWブッダは、仏道を歩むことが難しい要因を大きく二つに分けて説かれています。

今回はその前半で、その主な理由は「明確な理由は無いが仏道を歩みたくない。」ということで、「世の人々が苦に安住していて苦悩から脱却しようという気持ちに欠けていることを意味しているのであろう。」ということです。

さて、明日の後半では、どのような要因が述べられるのでしょうか?