SRKWブッダ著「仏道の真実++」一なる道

(以下引用)

【一なる道】

 これまでの説明で、読者は仏道を歩むことのおおよそのことが分かった筈である。ここでは、仏道が一なる道であることについて述べたい。

 さて、読者は、ニルヴァーナは一つであってもそこに到達するための道は複数あるに違いないと考えているかも知れない。何となれば、この世にはしあわせの境地に至るための道と称するものが色々と提唱され、実践されているからである。

 しかしながら、現実にはニルヴァーナに至る道は一つしか存在していない。そのことは、実際にニルヴァーナに到達したブッダ達が等しく知っていることである。そこで、もろもろの如来は、仏道を「一なる道」とも呼ぶ。そして、その他の道はニルヴァーナには通じていない道であるとして、やや過激な言い方に聞こえるかも知れないが、古典的には外道と呼ぶのである。

 ただし、この一なる道というのは徹頭徹尾そうである必要はなく、道の歩みの最終段階においてそうであれば良いということである。したがって、その最初、あるいはその途中における紆余曲折については問われない。要するに、当初は外道を歩んでいたとしても途中から正しい道に合流することを得たならばそれで良いということである。あるいは、途中で道を逸れてしまったが、後に再びこの仏道に戻ることを得た人についても同様である。実際、これまでに覚った人もほとんどはそのような紆余曲折を経ていると考えてもあながち嘘ではない。実際、私自身そうであったし、作仏した弟子達もそうであった。そして、古くは釈尊もそうであったことが仏典の記述から読み取れる。

 もちろん、仏道ならざる道を歩んでいる間は覚る(=解脱する)ことがない。このため、いわゆる神秘体験も覚りとは無関係である。また、哲学や学問的知識によって直接覚ることもあり得ない。修行者は、学問ではなく学識を豊かならしめることによってこの一なる道を見出し、歩まなければならない。

(以上引用)


*法津如来のコメント

仏道を「一なる道」と呼ぶのでありますが、仏道ならざる道を歩んでいる間は覚る(=解脱する)ことがないのです。

この「一なる道」は仏道の修行ですが、その概要については、すでに「右も左もわからない修行者へ ・修行」で引用しました。https://76263383.at.webry.info/202008/article_6.html


「修行は基本的に本人の自由な意思に任されており、要するに知りたいところから学びを進めて行けば良いということである。このため、その学びは必然的に紆余曲折を伴うものとなるのであるが、それが修行の遍歴となるわけである。そして、人と世の真実を見極めようと努力する中で次第次第に功徳が積まれることになる。そして、あるときに機縁を生じ、ついに覚りに達することを得る。これが、覚りに向けた修行の全貌である。」

これは、神秘体験や哲学や学問的知識とは無関係です。