SRKWブッダ著「仏道の真実++」修行(1)

(以下引用)

【修行】(1)

 ずっと前の章で、

 「仏道を歩み始めたばかりの人は、修行することが道の歩みそのものであろうと考えているかも知れない。もちろん、それはその通りなのであるが、知っておかなければならないことは、実のところ固定的な修行法など何一つ存在していないという事実である。 {中略} では、修行の実際とは何であるのか。読者は、知りたいであろう。 仏道を歩むための修行は、「遍歴修行」と呼ばれるものである。・・・」

と述べた。本章から仏道修行について詳細を述べたい。

 繰り返しになるが、この世にはニルヴァーナに至るための固定的な修行法など何一つ存在していない。したがって、読者が本書で具体的な修行法を学びたいと思っているのであるならば、その期待には応えることはできない。

 ただし、修行が要らないと主張しているわけではない。ニルヴァーナに至るためには、修行が必要だからである。ただ、その修行は外的に与えられるものではなく、修行者が自分自身で見出して勤しむべきものである。このため、その修行には当然のことながら紆余曲折が伴うことになるのであるが、それで良いとするのである。むしろ、そうでなければ仏道を歩むことにはならないということである。そして、これを遍歴修行と呼ぶわけである。

 さて、そもそも修行者にとっては、しあわせの境地たるニルヴァーナを目指すための道を知ることが重要なことであって、修行法を探すことが目的ではない筈である。あくまでも、修行はニルヴァーナに至るための手段に過ぎないからである。

 逆に言えば、修行者が何を為したとしてもそれによってニルヴァーナに達することができたならば、それが彼にとっての修行だったわけであり、結果論としてまさしく正しい道を歩んだのだと認められることになる。

(以上引用)


*法津如来のコメント

「ずっと前の章」とは、「右も左もわからない修行者へ」の「修行」の項で述べられたことです。このブログでは、8月5日に掲載しました。
https://76263383.at.webry.info/202008/article_6.html

この引用文で重要なことは、繰り返し述べられた「この世にはニルヴァーナに至るための固定的な修行法など何一つ存在していない。」ということです。

「ただし、修行が要らないと主張しているわけではない。ニルヴァーナに至るためには、修行が必要だからである。」

ここが難しところであり、理解しがたいところです。

また、「そもそも修行者にとっては、しあわせの境地たるニルヴァーナを目指すための道を知ることが重要なことであって、修行法を探すことが目的ではない筈である。」と記されていますが、修行法を探すことが目的のような修行者が多いのです。



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