SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(1)

(以下引用)

【功徳を積むこと】(1)

 前の章で述べたとおり、功徳を積むことが仏道修行の主要部分である。

 「自己の本性(ほんせい)に功徳があるのだ。見性が功であり、素直さが徳である。」(六祖壇経)引用:世界の名著〈18〉禅語録(1978年)(中公バックス)柳田聖山(訳) ISBNー13:9784124006285  140ページ

 これは禅の六祖(=慧能ブッダ)の言葉であるが、功徳について見事に説明している。すなわち、功徳を積むことは見性することに役立ち、徳を培うこと——情欲を離れること——になるということである。ここで、見性とは、自分の中に生まれる以前から存在している人としての本当の気持ちを明らめることであり、これによって解脱が起こる。また、徳(=大徳)とはブッダの行為の別称である。

 ところで、功徳のこれらの性質は、山奥に籠もるような独居的な修行法によっては覚ることはできないことを暗に指摘しているものである。何となれば、このように功徳を積むことは人との関わりの中でのみ為し得ることだからである。

 さて、功徳とは仏の特相そのものである。先に引用したように、つねに本性(ほんせい)に目覚めていて素直な心で対応することを功徳と称するからである。すなわち、功徳とは自分の内側を護り、そして同時に外側に対応することに他ならない。このようにして、あらゆることがらについて功徳を積んだとき、ついに解脱が起こる。ただし、その積まれた功徳の程度は修行中に意識されることはない。

 以下に、功徳にまつわることがらを列挙したい。

(以上引用)


*法津如来のコメント

この引用文で引用された言葉「「自己の本性(ほんせい)に功徳があるのだ。見性が功であり、素直さが徳である。」は、梁の武帝と達磨大師の問答に関する質問に対する六祖慧能の答えの一部です。この部分の全体を読めばわかりやすいので、是非読んでみてください。

簡単に言えば、武帝は「自分は寺を建てたり、僧に布施をしてきたが功徳があるか?」と質問しましたが、達磨大師は「功徳はない」と答えたという話しです。それは何故かという説明です。

この引用で重要なところは、「功徳のこれらの性質は、山奥に籠もるような独居的な修行法によっては覚ることはできないことを暗に指摘しているものである。何となれば、このように功徳を積むことは人との関わりの中でのみ為し得ることだからである。」




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