SRKWブッダ著「仏道の真実++」功徳を積むこと(4)

(以下引用)

【功徳を積むこと】(4)

 ● 功徳は、行為の帰趨ではない。要するに、功徳は気持ちの問題であるということであり、功徳はこころに積むものであると知られるということである。このため、行為の多寡とは無関係に功徳は積まれる。ある場合には、何一つ行為せずに功徳が積まれる。つまり、やさしい行為が功徳になるわけではなく、やさしさの追究が功徳を積むことの本体であるということである。この真理は、仏教の一つの微妙なる特質である。

(以上引用)


*法津如来のコメント

「功徳は、行為の帰趨ではない。」ということは、仏教の一つの微妙なる特質でなのですが、この真理を理解する上で参考になる金剛般若経の第28章を引用します。(岩波文庫「般若心経・金剛般若経」より)

(以下引用)

さらに、また、スブーティよ、実に、立派な若者や立派な娘が、ガンジス河の砂の数だけの世界を七つの宝で満たして、それを如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人に施したとしよう。他方では、求道者が、<法は自我というものがなく、生ずることもない>と認容しえたとすれば、この方がそのことによって、計り知れず数えきれないほどさらに多くの功徳を積んだことになるだろう。けれども、また、実に、スブーティよ、求道者・すぐれた人は、積んだ功徳を自分のものにしてはならないのだ。」
 スブーティ長老は訊ねた―「師よ、求道者は、積んだ功徳を自分のものにすべきではないのでしょうか。」
 師は答えられた―「スブーティよ、自分のものにすべきであるけれども、固執すべきではない。そういう意味を込めて、<自分のものにすべきではない>と言われているのだ。」

(以上引用)


この記事へのコメント

hal
2020年09月24日 14:00
功徳は こころに 積むもの

たいせつな 言葉と おもいます。

ありがとうございました。
才広
2020年09月24日 19:11
功徳と殊更に(ことさらに)話す必要はない

当たり前のことを当たり前にするだけである

多くても少なくても当たり前ではない

当たり前のことが当たり前に出来てない欠け損じてることを探す。気づく。

それが貴殿方が瞑想するべきです

先ず仏道を始める

動機は

お釈迦様の心

を目指す

生きとし生けるものが幸せでありますようにの心の完成を目指す

その中で欠け損じてるところに気づくよう探す

これがゴータマ・ブッダへの道

そして完成したなら

ゴータマ・ブッダの心

生きとし生けるものが幸せでありますように

教える修行の始まり

教え方の師は

ゴータマ・ブッダです
ノブ
2020年09月27日 02:01
それは当然、身にも現れると思いますが、主体がどこにあるか、と考えたときに、多くの人は身体だと考えるかも知れない。しかしそれ故に、こころある人が徳を備えるのだと言われるのでしょう。