SRKWブッダ著「仏道の真実++」具体的な覚りの機縁(広義)(4)

(以下引用)

【具体的な覚りの機縁(広義)】(4)

 ● 苦行に近づかないことは、覚りの機縁となる。苦行は無益である。苦行は、道を汚すものに過ぎない。解脱とは何であるのかが正しく理解されていないと、苦行によって浄らかになれるという誤った見解を抱くようになる。苦行によって覚ろうとするのは、怪我した部位をさらに傷つけて治そうと目論むような愚行である。覚りにおいて苦行が無益だというのは、覚りの道は苦行とは無縁であるという意味である。むしろ、人は楽しみと栄えとともに道の歩みを進め、ついに覚りに達するのである。修行者は、最初から最後まで健やかでなければならない。すべての仏は、健やかさの中において作仏しているのである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

「(初)転法輪経」のはじめには次のように説かれています。

「そこで世尊は5人の修行者の群れに告げた。『修行者らよ。出家者が実践してはならない二つの極端がある。その二つとは何であるか? 一つはもろもろの欲望において欲楽に耽ることであって、下劣・野卑で凡愚の行ないであり、高尚ならず、ためにならぬものであり、他の一つはみずから苦しめることであって、苦しみであり、高尚ならず、ためにならぬものである。真理の体現者はこの両極端に近づかないで、中道をさとったのである。それは眼を生じ、平安・超人知・正しい覚り・安らぎ(ニルヴァーナ)に向うものである。』」

当時の修行者は修行というと、苦行をすることだと思っていました。ですから、ゴータマ・ブッダも断食や息を止めるなどの苦行を繰り返していましたが、それでは覚れないことをさとったのです。

今でも、多くの修行者は苦行が好きです。断食の他にも、滝行やその他の苦行に挑戦しています。瞑想も苦行として行なっているのかもしれません。




この記事へのコメント

自分
2020年09月03日 10:45
このことは

実際に教えておけば

このようなことである

兎に角

自我がない時に段階のある

悟り解脱は起きる

やるべきか?やらないべきか?
停止状態にある自分に
「やってもいいんだよ」という自分にとって信頼のおける人が自分の中にいてそね自分の中の信頼出来る人が自分の背中を押してくれる

自我なく自分の殻がひび割れる

第一段階目の解脱悟り
自分
2020年09月03日 10:49
兎に角自我がない時に悟り解脱は起きる

二段階目は

謝罪と感謝で

親と子供(自分)の関係から

解脱悟りが起きる

謝罪と感謝は

百パーセント相手に至っていれば

自我なく行える
自分
2020年09月03日 10:51
兎に角自我がない時に悟り解脱は起きる

二段階目は

謝罪と感謝で

師匠と弟子(自分)の関係から

解脱悟りが起きる

謝罪と感謝は

百パーセント相手に至っていれば

自我なく行える
自分
2020年09月03日 10:53
先程

二段階目を二つ書きましたが

後で書いた方が

三段階目の解脱悟りです
自分
2020年09月03日 10:56
最後は

すべての生からの解脱悟りです

すべての生への

謝罪と感謝



すべての生からの解脱悟りが起きます

すべての生に百パーセント至っていれば

自我なく

謝罪、感謝は行えます

ネハン
自分
2020年09月03日 11:00
中道とは、自我がなく行う行為

自我がなければ

苦行はあり得ないし

自我がなければ

貪りもあり得ないし

もうそれが悟りです

修業の悟りです
自分
2020年09月03日 11:07
具体的にもう少し提示してあげましょう

春に山は盛んにもりもり

山から飛び出すんじゃないか

というぐらい

生き生きしてる

あれは自我じゃない

「頑張る」じゃない

「努力」じゃない

「精進」じゃない

我慢したあとの

自然現象です

そのような

自我がなく自然に至るとき

解脱悟りは起きる
自分
2020年09月03日 11:12
自我があると

自我で行うと

その行いのエネルギーに

自我が入ってると

当たり前だが

悟り解脱は起きない

これが

修業を行う上でわきまえることです

苦行をしようと起きる筈がない

修業の悟りがあれば

貪り修業が起きる筈がない

修業の悟りがあれば
自分
2020年09月03日 11:15
だから

ポイントは

他人からみて

苦行だ貪りだ

と言われてもかんけいない

そうでなく

なんであろうが

そのことが

自我なく行えたら

修業です
自分
2020年09月03日 11:16
しかし

自我なく善に至る解脱と

自我なく悪に至る解脱と

両方あります 
自分
2020年09月03日 11:21
人を殺せるように背中を押す

師匠

おどおどしてる

自我が割れない弟子に

「刺せ!」

と背中を押し

自我が割れる

「刺してしまった」自分

もう

平気で人を殺せる
自分
2020年09月03日 11:22
もう1つは

自我が割れて善に至る

第一段階目の解脱悟り

「殺せない!」自分
自分
2020年09月03日 11:34
断食では

解脱悟りは起きない

貪りでは

悟り解脱は起きない

ならば

断食の後は

貪りではないでしょ

お釈迦様は

そこで悟り解脱してるんです

春の山の木々の状態で

悟り解脱してるんです

我慢の後の自然現象の状態で

悟り解脱してるんです

春の山の木々は

盛んです

すごい生命力です

我慢の後の生命力なんです

「頑張る」じゃない

「努力」じゃない

「精進」じゃない

「自我」じゃない

我慢した後の

物凄い自然の生命力

の状態で

悟り解脱された

お釈迦様なんです
自分
2020年09月03日 11:47
ポイントは

自我なく如何に修業するか?

簡単なんです

トイレに行くぐらい

当たり前の行為に

瞑想に行くことです

トイレが目的じゃない

トイレ後幸せなんですね

トイレに行くのは

苦行ではない

貪りではない

それぐらいに瞑想を当たり前にすることです
自分
2020年09月03日 11:52
トイレに行く

座る

終わる

考えるもでもなく

当たり前に行う

自我とか

苦行とか

貪りとか

ではなく

当たり前に

最初から最後まで

そのように

瞑想が

自然のこと

当たり前のこと

にしてしまえばいいんです
自分
2020年09月03日 12:01
花瓶の水がない

花🌷がある

頑張ってます

頭を下げてますが

頑張ってます

しかし

水を入れて下さい

真っ直ぐ立ちます

頑張ってないんです

全く頑張ってないのに

シャキン!

と真っ直ぐにたってます

「自我」じゃない

「貪り」じゃない

「苦行」じゃない

自然現象で全く頑張らずとも

シャキンとたってます

このように自我がないのに

物凄い生命力

の時に

お釈迦様は

悟り解脱されてます
自分
2020年09月03日 12:05
我慢の後の

トイレは当たり前

自我でも

苦行でも

貪りでも

ない
自分
2020年09月03日 12:10
お腹が空いて

それから我慢の後の

食事は当たり前

貪りでも

苦行でも

ない

その後の

生命力は

「努力」じゃない

「頑張る」じゃない

「自我」じゃない

我慢した後の

自然の生命力
自分
2020年09月03日 12:12
自我なく如何に修業するか

これが修業者の考えることです
自分
2020年09月03日 12:18
忍耐堪忍は最上の修業である

ネハンは最上の安楽である

お釈迦様の言葉

自分
2020年09月03日 12:21
飢餓は最大の病にして

諸行は最大の苦しみなり

これを如実に知るならば

最上の楽なるネハンあり

お釈迦様の言葉
自分
2020年09月03日 12:25
だから

苦行によって悟ることはないが

苦からの解脱によって

解脱悟りなんです

欲しい、欲しい

と思うから苦しみ

と如実にに気づくなら

欲しい、欲しい

が消える

食べ物が消える

食べる自分が消える

ネハン
自分
2020年09月03日 12:30
忍耐堪忍によって

欲しい、欲しい

と思うから

苦しみなんだ

と如実に気づいたら

欲しい、欲しい

が消える

食べ物が消える

食べる自分が消える

8日間

食堂害を歩いても

サンプルや料理の写真を見ても

匂いを嗅いでも

食べる他人を見ても

食べる自分が現れない

才広之

2013 7 28
自分
2020年09月03日 12:39
私は、出離の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。それは戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても得られないものである

修業僧よ。汚れが消え失せない限りは油断するな

お釈迦様の言葉

木広之
ノブ
2020年09月06日 16:41
忍耐とは、分かりやすく言えば、子に対する親の在り方です。
信がそれを支えているが、それは何もしないと言うことじゃ無いんですね。
自分
2020年09月06日 19:55
なにもしない

と言うことをやってるんです