石法如来の特別寄稿「こころの平安を求めて 」

私は以前の記事(「少年時代の思い出・・・そして音楽に救われる.(2020.9.1)」)に,幼少期に「両親の離婚」という出来事がなかったなら、私は仏教とは無縁の人生を歩んでいた可能性が高いと書きました。
仏の教えと無縁でいられる理由は、幼少期の衝撃的な体験が無ければ自分自身の心底に不安感として根付いた「ある種の精神的外傷」と向き合う必要が無かったと思えるからです。

私の言う「ある種の精神的外傷」とは、心理学で言う「心的外傷(トラウマ)」より数段軽いものであるにしても、成人以降も時として不安感に襲われることがあり何とかそれを克服しなければ、将来自分自身の精神作用に悪影響が拡大してくることを真面目に心配しました。
仏教以前にも、ライフル射撃や空手というものに興味を持ちそれらの競技に励んだのは、何とか自分自身の精神的弱点を克服したいという思いがあったからである、と言うことが出来ます。

私が本格的に、自分なりの修行を開始出来たのは阿含宗退会後のことです。すでに仏教を学び6年の歳月が経過し、自分なりに法(ダルマ)の何たるかを把握しておりました。
基本的に、「たった独りの修行」ですから難しい事は出来ません。経典は、その都度興味に任せて読んでおりましたが、精神面における弱点強化に役立ったのは所謂坐禅では無かったかと振り返ります。

私の言う坐禅は全くの独学で、「1日坐れば1日の仏」を自分自身を鼓舞する合い言葉とし、当時出版されていた『釈尊の呼吸法―大安般守意経に学ぶ』(村木弘昌著)を参考に、入出息(呼吸)を意識する(あるいは、呼吸を数える)ことで、意識を鎮静・集中させることを目的に行じておりました。

自分としては、意識を鎮静させながらも多方面に意識を集中させる・・・例えば、仕事のこと、家庭のこと、仏教のこと、趣味のこと、社会一般のことなどに色々意識を向け思いを巡らしていく、すると問題解決のヒントやそれまで気が付かなかった考え方などが次々と浮かんできて、物事が順調に進むようになり毎日の生活が少しずつ楽(らく)にかつ楽しくなって来ます。

坐る場所も時間も決まっていて、毎朝5時半から6時までの約30分間で、釈迦初転法輪像の写真の前でこつこつ坐禅を続けます。意識を向けるメニューはその都度変わり、慣れるに従い自分自身への問いかけや自分自身との対話などを行います。
自分自身への問いかけや対話は、様々なテーマがありよく覚えていませんが、自分自身の中にあった幼少期の抑圧された意識も徐々に解消に向かい自然消滅して行きました。

61歳から時間的余裕の出来た私は、それまで坐禅だと称していたものを瞑想と名前を変更し坐り続けました。私のいう坐禅と瞑想の違いは、時間が30分程度から数時間程度に伸びたこと。行の内容が、色々なことに思いを巡らし自分自身に問いかけていたものを、何も考えないことに自然と変化していったことが挙げられます。
全て独学の行なので、深い意味や行為の代償を求めることも一切せず「ただただ坐ることだけを目標」にしました。

自衛官時代、演習に行き大自然の中で坐ったことが思い出されます。・・・天候に関係なく宿舎を抜け出て30分ほど坐るのです。昼間もあれば夜間もあり、大きな木を背にしたり大きな岩の上に坐ったり、大自然の中呼吸に意識を集中すると「生かされている・生きている」ことが実感出来ます。
また、昔の修行者はこんな風に修行に励んでいたのだなと考えながら、自分自身が同じように行じていることそのものが嬉しく楽しく感じられました。

振り返れば、相当長い期間坐り続けることが出来た理由は、「坐ることそのものが好きだった」ということに尽きます。また、家の中では自分自身定めた仏前が「とても安心出来る場所であった」というのも大きいです。・・・私は、ずっと「こころの平安」を求めていたのです。

今回、経典のことについてはあまり書きませんでしたが、経典を読むことと「坐る」ことは車の両輪の関係にありどちらも重要な修行です。素直な気持ちで経典を読んでいると、いつでも「新たな発見」があります。そういう意味で、経典は「法宝(ほうぼう)」であり「宝蔵(ほうぞう)」と言えます。

坐(すわる場所)はブッダの法(ダルマ)で満たされ、その雰囲気の中ただただ坐り続ける。無論、自分自身の思い込みの産物そのものであるにしても、今となれば「仏に近づく(長い時間の)行為の集積により自らが仏になる。」・・・。私は、ブッダの教えを成し遂げたのです。


*法津如来のコメント

本日、2回目のブログ更新です。
本日も石法の如来の特別寄稿を掲載します。


この記事へのコメント

HK
2020年10月10日 17:58
次第次第と功徳を積み、
確固たる心の平安に達した事を
随喜します。