SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(2)

(以下引用)

【遍歴修行】(2)

 このため、修行の本質は「あれもダメこれもダメ」というようなものではなく、むしろいろいろなやり方が認められ得るものとなる。ただし、その根本は法(ダルマ)に適ったものでなければならない。つまり、その修行がニルヴァーナに至るということに結びつかなければ意味はないということになる。

 また、固定的な修行法が存在していないということは、複数の修行者が同じように修行したとしても同じ結果を得るとは限らないことを意味している。すなわち、それぞれの修行者の心構え一つで正しい修行にもなれば、逆に地獄に落ちるような悪行にもなってしまうからである。このため、修行に先立って心構えの正しさが問われることになる。

 修行者の心構えが正しければ、彼が日々に何を為そうともそれらはすべて覚りに向けた修行となるであろう。心構えが正しからざれば、本人が修行と称するものは修行とはならず彼自身思いもよらない結末を見ることになる。

(以上引用)


*法津如来のコメント

この引用文の出だしの「このため」とは、固定的な修行法が存在していないためということです。

ですから、いろいろなやり方が認められ得るものとなるということになるのです。

ここからが少し微妙なことになりますが、

複数の修行者が同じように修行したとしても同じ結果を得るとは限らないことがあるのです。

ここが問題です。

では何が違うのか?

それぞれの修行者の心構えが違うのです。

SRKWブッダは「修行者の心構えが正しければ、彼が日々に何を為そうともそれらはすべて覚りに向けた修行となるであろう。」と説かれています。

では、心構えが正しいとはどう言うことか?

明日以降、このブログの引用文で述べられることになります。




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