SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(3)

(以下引用)

【遍歴修行】(3)

 さて、この心構えについて説明するには、字が上手くなろうとして練習することが譬えになるであろう。このとき、学生の心構えが正しければ、練習を重ねて達筆となり目的を達成することができよう。しかし、心構えに問題があると、練習しても達筆とはならず癖字になってしまうだろう。そして、困ったことに彼は練習すればするほど癖字がひどくなってしまうかも知れない。一旦癖字になってしまった人が達筆になるのは極めて難しい。何となれば、彼はまず癖字を直さなければならない。そして、その上で字の勉強を一からやり直さなければならない。しかも、再挑戦が正しい学びになるかどうかさえ分からない。心得違いが正されない限り、癖字と再挑戦を繰り返すことになるだろう。

 仏道を歩むことも同様である。心構え正しからざる者が心を矯めるのは、極めて難しい。しかし、それが為されない限りいかなる修行も覚りには結びつかない。また、心構え正しからざる者ほど、自分では正しい心構えを持っていると誤認しているものである。その根底の心得違いを本人が認めない限り、これを正すことはとてもできない。

 そこで、いかにして心構え正しくあるかが探究されるべきであろう。一体、何をどう点検すれば心構え正しきことが確証されるのであろうか。また、心構えに問題あることが分かったとき、それをどのようにして矯めればよいのであろうか。それは道の歩みの早い段階に行うべきものなのであるが・・・。

 これらについて述べたい。

(以上引用)


*法津如来のコメント

仏道修行における「正しい心構え」とは、習字における「素直さ」のようなものです。

習字においては、お手本を素直に見て、下手でもよいので素直に書けばよいのです。

しかし、お手本をよく見ないで自分勝手に書いていれば、自分勝手な癖字になります。

一旦癖字になってしまった人はどんなに練習しても、達筆になることはありません。

習字であれば、書いた文字は見えますから、本人がその気があればなんとかなるかもしれません。

しかし、仏道修行の心構えの誤りについては、本人がその誤りに気づくのは極めてむづかしいのです。

心構えが正しくなければ、どんなに修行しても、覚り(ニルヴァーナ)に到達することがありません。

それは残念なことではありますが、最悪の場合には地獄に落ちるということもあり得るのです。



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