SRKWブッダ著「仏道の真実++」【遍歴修行】(4)

(以下引用)

【遍歴修行】(4)

 ここで、心構え正しき人とはその根底の求めが正しいことと同義である。逆に、根底の求めが邪だと心構えは正しくならない。この根底の正しい求めを「聖求」と呼ぶ。すなわち、聖求ある人は、そのまま道を歩めば必ず覚りに達すると断言できることとなる。

 聖求については、ずいぶん前の章で説明した。ここでは、聖求について違う角度で説明したい。

 さて、聖求というのは、要するに仏道の最終的な目的地であるニルヴァーナの実在を信じ、かつ他ならぬ自分自身がそこに到達できることを確信しているということである。

これを何かに譬えるとすれば、例えば日本の任意の地点から東京に向かって進むようなものである。ここで、知っているべきことは二つで良い筈である。一つは、東京が存在していること。もう一つは、「上り」という言葉である。これで、どの地点からでも東京に向かうことができるであろう。たとえ、途中で道に迷うようなことがあっても、「上り」という言葉に従って進めば間違いなく東京に近づき、至るであろうからである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

心構え正しき人とはその根底の求めが正しいこと。

根底の求めが邪だと心構えは正しくない。

この根底の正しい求めを「聖求」と呼ぶ。

聖求については、8月13日、14日のこのブログ記事で引用しました。
https://76263383.at.webry.info/202008/article_14.html
https://76263383.at.webry.info/202008/article_15.html


ここでは、聖求を別の言葉で説明しています。

それは、要するに仏道の最終的な目的地であるニルヴァーナの実在を信じ、かつ他ならぬ自分自身がそこに到達できることを確信しているということであるということです。


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