SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行は無駄にはならないのか】

(以下引用)

【修行は無駄にはならないのか】

 遍歴修行を為すということであるならば、もしも修行が完成しなかった場合にはどうなるのであろうか。つまり、それまでの修行は無駄になるのではないかという危惧を持つ人があるかも知れないということである。これについて述べたい。

 結論を言えば、修行が無駄になるかも知れないと予め不安に思うようでは修行者とは言えないということになる。何となれば、修行は基本的に楽しみと栄えとともに行われるべきものだからである。つまり、楽しい修行を重ね続けるわけであるから、それが無駄になるなどとは思いもよらないことになるわけである。

 それでも、ある者は次のように言うだろう。

 「現実問題としては、覚りに達しなかったならば修行はつまるところ無駄であったと言わざるを得ないではないか。」

 しかし、これは修行の根本を押さえていない者の屁理屈に過ぎない。何となれば、修行したことによって積まれた功徳は不滅のものだからである。その功徳は、たとえ自分の覚りという形では結実しなかったとしても世界に廻向されたことになるからである。つまり、現在および未来に亘る無量の衆生に廻向されたわけである。

 もちろん、修行は生きている間に自分自身の身において是非とも完成させるべきものである。そうでなければ、つまらない。

 ただし、ここで言っておきたいことがある。それは、人の尊厳に関わることがらである。修行の可否成否もまた、この尊厳に照らして考えなければならない筈のものである。たとえ、ある修行者の遍歴修行が完成を見なかったとしても、その為されたことは彼の尊厳を損なうものとはならない。むしろ、立派な人生を送ったのだと称賛されるべきことなのである。少なくとも、私は彼を称賛したい。

(以上引用)


*法津如来のコメント

この問題は、人を愛する時のことを考えるとわかりやすいでしょう。

恋愛と言うと、結婚が目的であると考えられますので、結婚が成立しない恋愛は失敗であった、その恋愛が無駄であったと考えがちでありますが、本当にそうでしょうか?

いろいろな恋愛がありますが、私は真面目な恋愛の本質は、人を愛することだと考えています。その意味からは、そのような恋愛に失敗も無駄もありません。

真面目に修行することは、功徳を積むことです。そのような修行は無駄にはなりません。




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