SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行方法の例示】(1)

(以下引用)

【修行方法の例示】(1)

 繰り返しになるが、仏道修行においては実のところ固定的な修行法など何一つ存在していない。しかしながら、構成概念としての修行法ならば提示することができる。それについて述べたい。ただし、以下に提示することはそれぞれ修行の一例に過ぎない。これらを履修することが修行になるわけではないことには、留意されたい。

 ● やさしさについて考察することは修行となる。そもそもブッダとは、やさしさの究極を体現した人である。やさしさについて考察することは、ブッダとは何かを考察することと同じである。もちろん、それだけで覚りを生じるわけではないが、この考察は道の歩みの大きな糧となることは間違いないことである。

 ● 人を苦しめないことについて考察することは修行となる。ずっと前の章で述べたが、覚りにおいて重要なことは苦の覚知である。人を苦しめないことについて考察することは、これに通じるものとなるからである。

 ● 人を悲しませないことについて考察することは修行となる。人は、自分の苦を他の人には見せないものである。そこで、悲しみについて考察することが引いては苦の覚知に役立つことになる。修行者は、自分を含めて誰をも悲しませてはならない。これを心掛けるだけで、修行は大きく進むと考えて大過ない。

(以上引用)


*法津如来のコメント

具体的にどのように修行したらよいかわからない人のために、「修行方法の例示」の章では、11例が示されています。しかし、章のはじめに書かれているように、これらを実践すれば、修行になるわけではないと注意されています。実践の際の心構えが重要なのです。

今回は、はじめの3つを引用しました。

「やさしさについて考察することは修行となる。」・・・「やさしい人が覚る?」の章を参照して下さい。
https://76263383.at.webry.info/202008/article_12.html

「人を苦しめないことについて考察することは修行となる。」・・・「苦諦がすべて」の章を参照して下さい。
https://76263383.at.webry.info/202008/article_13.html


「人を悲しませないことについて考察することは修行となる。」・・・このことについては、上記の2つの章をよく読めば、理解が深まります。

その一つを引用すれば、「苦の真実とは別の言い方をすれば『この世のことがらはやさしさに欠けている』ということである。具体的に言えば、ある人にとって嬉しいことがらは他の誰かにとっては悲しいことかも知れないということである。ある人が快楽に浸っているとき、他の誰かは苦しんでいるかも知れないということである。」という指摘があります。


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