SRKWブッダ著「仏道の真実++」【修行方法の例示】(4)

(以下引用)

【修行方法の例示】(4)

 ● 省察することは、修行となり得る。

他ならぬ自分自身の行為について省察するならば、確かな覚りの機縁へと結びついて行くものともなるからである。

ここで、省察は過去の自分の行為について行う。

ことの起こりと、顛末と、それぞれの帰趨を思い出さなければならない。

そして、「その時自分が何者であったか」を深く追究し理解しなければならない。

それが理法に適った的を射たものとなったとき、懺悔(さんげ)を経て解脱が起こるであろう。

修行者は、省察によって過去の悪を現在において完全に止めよ。

それが一切の悪を止めるものとなるのである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

他ならぬ自分自身の行為について省察することは、何度も行わなければならないことではありません。

実際には、理法にかなった省察ができないので、何度も省察をすることになるかもしれません。

しかし、それが理法に適った的を射たものとなったときは、一回でその修行は完成します。

私の場合は、解脱前の最後の省察は、深い懺悔を経て、その後すぐに、不思議なことに天から降ってくるように、私の孫から「法の句」を聞いたのです。



この記事へのコメント

才広
2020年10月26日 13:10
欠け損じて埋め合わせが、怒りなんです

怒りを取り除けば

欠け損じたところに「ない、いかり」

が、ころん、と入るんです

ぴったりはまるんです。

な~んだ、何があろうと「ない、いかり」でいいんだ、

怒りだけが

余分だったんだと

過去現在未来に

一貫して通るんです

もう

過去現在未来に対して

悩みなし
才広
2020年10月26日 13:17
法の句、法の句と言っておられるが

それは勝手な妄想です

つまりは

誰かが言ったから

誰かの言葉だから

そういうやり取りがなく

誰の言葉でもない

言葉そのものとして

自分にころんと入る

ぴったり収まる

微塵の隙間もなく

ガタもなく

完璧にはまる

ことが起きるだけです
才広
2020年10月26日 13:29
一般的に言えば智慧とか悟りですよ。

例えば

母親が10年毎朝

「気を付けてね!」と毎日言い

子供が毎日「分かった!気を付ける」と言っても

1度も悟り自覚してない

しかし

ある日初めての言葉を聞く

母親が「気を付けてね!」

と言った初めての言葉を聞く

それが悟り自覚なんです。

今まで10年何も分かってなかったのです。

それを勝手に法の句と言うのは勝手な妄想です

また

母親が事ある度に

「みな、なかま」だからね❤

「ない、いかり」だよ🍀

と事ある度に子を諭す

しかし、1度も聞けてない

例えば

母親が死んだあとになって

もう誰の言葉でもない

純粋な法

「みな、なかま」「ない、いかり」

が自分にころんとはまる

要するに

誰の言葉でもない

言葉だから

ころんと自分に入るんです

それを勝手に法の句が現れたとか勝手に妄想してはいけない

つまりは

才広
2020年10月26日 13:39
その事が

カーラーマ経

なんです
才広
2020年10月26日 13:48
初めての試みだが

それを分析するなら

誰かが言った言葉だから

と言葉に人がくっついてると

その言葉を受け入れることで

一緒にその人もついてきてしまうから

その人の言葉を受け入れることで

その人への執着みたいになってしまう

から悟り自覚は起きないんです

しかし

誰かが言ったというのではなく

言葉そのものが言葉だけが純粋に入って来た場合

ぴったりはまるなら

悟り自覚なんです
才広
2020年10月26日 13:50
つまりは

ゴータマ・ブッダを頼るなかれ

法(誰の言葉でもない言葉そのもの)を頼れ

自己を頼れ

なんです
才広
2020年10月26日 14:13
母親が

「気を付けてね☺」

と毎朝10年言う

事ある度に

「みな、なかま」だからね❤

「ない、いかり」だよ🍀

と言う

それを「分かってる!」と聞いてきた

その母親が亡くなり

やっと自由だ、と思うがままに生きた

車で運転中

あいつは仲間じゃない❗

と怒りで運転し

事故を起こし

落ち込んだあげく

智慧として「省察」

しなければと現れた

省察が始まった

自分自身のみの省察が始まった

その時純粋な言葉として

誰が言ったまでは起きず

言葉のみとして

みな、なかま

ない、いかり

気を付ける

と現れた

この3つの欠陥に怒りが代わりに入ってた

怒りが抜けたところで

欠け損じの3つの言葉がそこにころんとぴったりはまった

その後

そう言えば母親が毎日言ってくれてた言葉じゃないかと

初めてこのことだったんだと気づく

いえ

このことじゃなくても

このことで悟り自覚が起きたのは間違いない事実だから

母親が言ったからではない

自分の悟り自覚なんです

そのようなことが

ゴータマ・ブッダとの間で起きるんです

それを

変な妄想して

法界から法の句がなどと勝手に妄想するなかれ
才広
2020年10月26日 14:21
この母親は

慈悲なんです

全て見通してて

私が居なくならないとあの子は気づかないかも?

私が居なくなっても気づかないかも?

しかしそんなことは関係ない

慈悲の動機のみを貫くしかない

と悟り自覚し

なすべきことをその度に貫かれたのです

まるで

ゴータマ・ブッダのように

しかし

ゴータマ・ブッダは

例外なく全ての生きとし生けるものに貫かれたのです