SRKWブッダ著「仏道の真実++」【仏教の知識】(1)

(以下引用)

【仏教の知識】(1)

 仏教についての知識を学ぶことが修行である。と勘違いしている人が少なくないようである。かつて、私自身そうであった。

 さて、もちろん仏道を歩むのに仏教の知識はあるに越したことはないのであるが、それによって直接に覚りを生じるわけではない。なぜならば、仏教の知識は、基本的には覚り(=解脱)が本当に人の身に起こることであるということを信じさせてくれる一つの材料に過ぎないからである。

 ただ、修行に勤しむだけでは覚りを生じるに心許ない人もあろう。何となれば、修行中には、自分は覚ることはできないのではないかと自信を喪失するようなできごとも起こるからである。そこで、仏教の知識を漁って、修行に対する自信を取り戻そうとする人もあるかも知れない。

 本当のところ、覚るためには仏教の知識はどの程度必要になるのであろうか。それについて述べたい。

 最低限必要になる知識は、正法についてのことがらである。何となれば、通常、これを知らない修行者が覚ることは難しいからである。仏道修行を宝探しに譬えるならば、正法の知識は宝が何であるのかを知ることに相当する。もちろん、これだけでは宝がどこにあるのかまでは分からない。どのように探せば良いのかを教えてくれるわけでもない。それでも、求めている宝が何であるかが分かっていることは、その宝と遭遇したときにそれが宝であると直ちに知ることができる利点を持っている。正法の知識も、世に希有なる智慧——実際には法の句として出現するのであるが——と遭遇したときにそれが智慧であると知ることができる可能性を高めるものとなる。実際、私は法の句が正法の通りに世に出現したものであることを理解して慧解脱することを得たのである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

「仏教の知識」について、三回に分けて引用します。

「仏道修行を宝探しに譬えるならば、正法の知識は宝が何であるのかを知ることに相当する。」はその通りです。

宝探しにおいて、宝が何かを知らなければ宝は探せませんからね。




この記事へのコメント

才広
2020年11月01日 12:51
言葉は頭に残ります

だからゴータマ・ブッダの言葉を月だとしたら

湖面のように

ゴータマ・ブッダの言葉を

読んどけばいい

記憶するまでそのように読んどけばいい

論理するのではない

ただ景色のように暗記する

その景色は論理ではないのだから

頭にあってまも何も問題は起きない

あとはその時にそれを知るだけである
才広
2020年11月01日 13:00
貴殿方が棒を拾って

ぶらぶら持って

遊んでいても

その時にそれを知る

この話はいい加減で真理を悟ったわけではない

何故なら棒に真理はない

しかし

真理の言葉なら

その時にそれを知る
才広
2020年11月01日 13:09
また

仕事中に

スパナ(ボルト回し)を

先輩から渡されたら

的確な

先輩と自分の関係性なら

ぴったり

悟る
才広
2020年11月01日 13:16
先輩からスパナを渡されず

以前からスパナを自分で使い方も知らず持っていても

気づくなら

その時にそれを悟るだろうし

スパナを持ち歩いてなくても

その時にそれを渡され気づくなら悟るだろうし

才広
2020年11月01日 13:19
また

その時にそれを知らなくても

その時にそれを悟り

後に教えようとするなら

真理の言葉となる
才広
2020年11月01日 13:24
ゴータマ・ブッダの利点は

まず俗世間の感覚から

ゴータマ・ブッダに移行でき

俗世間の感覚から解脱出来る利点である

その時のゴータマ・ブッダの言葉に対して論理に今度は感覚が至る

その論理の感覚から解脱する為には

その時にそれを悟るしかない

悟ったのだから

論理から解脱

才広
2020年11月01日 13:31
論理せずとも

ゴータマ・ブッダの口から出たそのままの言葉で

悟れる

悟ったものが

未だ悟らぬものに論理し

俗世間の感覚から解脱させる

その者は論理に頼ってるから

論理から論理でない悟りへ

その時にそれをそのまま悟り

論理ではない悟りがあり

疑の論理は消え

悟りからの

教える為の論理が発生する