SRKWブッダ著「仏道の真実++」【公案】(4)

(以下引用)

【公案】(4)

 ● 公案の通過は、たかだか「公案にまつわるその表象」を得るだけのものである。

そうは言っても、高位の表象は真如に匹敵するものであることはその通りである。

具体的には、例えば「一円の公案」の通過者には初期の心解脱を認定できることになる。

ただし、繰り返しになるが、公案を解いたことによって——つまり公案を修行として——その表象が得られたわけではない。

解いた人はすでにその表象を心底に培い完成させていたのだが、それが公案を解くことによって明瞭になったということである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

この引用文で私が、注目したい所は次の言葉です。

「解いた人はすでにその表象を心底に培い完成させていたのだが、それが公案を解くことによって明瞭になったということである。」

難しい数学の問題はいろいろ考えてときます。

公案もいろいろ考えますが、ただ考えれば解けるというものではないようです。

解く人の心の状態、境地が上がらなければ、解けないというようなものです。

そうでなければ、公案の解答に至る発想が生まれてこないのでしょう。

簡単に言えば、意地悪な人は解けず、心のやさしい人しか解けないということです。

しかし、心がやさしい人でも解けない人はいますから、公案が解けない人は意地悪とは言えません。




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