SRKWブッダ著「仏道の真実++」【公案】(5)

(以下引用)

【公案】(5)

 ● 公案の通過は、自分を超え、善悪を超えるものである。

しかしながら、それだけによって自分が浄らかになったと考えてはならない。

それが人のあり得べき究極の帰趨であると理解する人が、公案を真の意味で正しく解いたことになるからである。

要するに、公案によって明瞭となる境涯は、人智の究極に過ぎないということである。

智慧を得たわけではないので、浄らかになったとは言えないことになる。

(以上引用)


*法津如来のコメント

この引用文は、この意味のわからない人には公案のようなものですから、あまり説明しないほうがよいのかもしれない。

しかし、ここではあえて説明すれば、次のようになります。

人間の心には二つの汚れがあります。それは名称(ナーマ)と形態(ルーパ)です。

公案の通過は名称(ナーマ)という汚れを落としたということになります。

しかし、まだ形態(ルーパ)の汚れは落ちていませんから、完全に浄らかになったとは言えないのです。



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