SRKWブッダ著「仏道の真実++」【公案】(8)

(以下引用)

【公案】(8)

 ● 事実として、私(=SRKWブッダ)は覚り以前において世間の公案を解くのに苦労した憶えがない。

世に存在するどのような公案でも容易に解けたし、(久松真一氏の)基本的公案のような高位の公案でも二ヶ月ほどで解けたからである。

しかしながら、そのことと私が作仏したこととを安直に結びつけるべきではない。

私自身、それらには何の関係もないことを知っているからである。

そもそも、公案に取り組むことには向き不向きが存在しており、実際多くの修行者が公案を解くこと無しに作仏しているのである。


 以上のように、興味を持った人が公案に取り組むことは観(=止観)の練習になるという意味で役立つだろう。

したがって、修行者がある程度公案の何たるかを理解したならば観への取り組みに進むことが勧められる。

なお、作仏するという目的から言えば、公案よりも観の基たる省察を行うことの方がより実践的である。

(以上引用)


*法津如来のコメント

この引用文の(久松真一氏の)基本的公案とは、一昨日に紹介した「立ってもいけなければ、坐ってもいけない、感じてもいけなければ、考えてもいけない。死んでもいけなければ、生きてもいけないとしたら、その時どうするか?」というものです。

これをSRKWブッダになる前の彼は、二ヶ月ほどで解けたというのですから流石凄いとしか言えません。

しかし、それを御自身で「そのことと私が作仏したこととを安直に結びつけるべきではない。」と仰っておられます。

それは、公案に取り組むことには向き不向きが存在しているということです。

「したがって、修行者がある程度公案の何たるかを理解したならば観への取り組みに進むことが勧められる。

なお、作仏するという目的から言えば、公案よりも観の基たる省察を行うことの方がより実践的である。」

ということになります。


この記事へのコメント