石法如来の特別寄稿「『名称と形態』の考察(その1)」

SRKWブッダの説かれる教えは、難解と感じられる方が多いと思います。その中でも特に、「名称(めいしょう)と形態(けいたい)」は難しい概念です。理解が少しでも深まるよう、「名称と形態」について少し考えてみたいと存じます。
 
SRKWブッダの説かれる「名称と形態」とは、簡単に言えば「名称=個人的無意識」であり「形態=集合的無意識」であると言えます。・・・私自身かつて「仏教とは何か?」と考えた場合、それは「人間とは何か?」という問いに突き当たり、人間存在を解明するには意識というものに焦点を当てなければいけないと考えたことがあります。
確かヨーロッパでは、「仏教は宗教と言うより心理学として学ばれている」という話を聞いたことがありますが、人間とは何か?を解明するには人間の心理(あるいは意識)について学ばなければ答えを得ることは出来ないというのはある意味当然の話です。
 
そこで当時思いついたのは、人間の意識を南極(あるいは北極)近くの海に浮かぶ氷山とイメージしました。海面から出ている部分は、「氷山の一角」という言葉があるように全体のほんの一部分です。海面に出ている部分を、人間の意識に喩えるならば「表層意識(あるいは顕在意識)」であり、水中に存在する(巨大な)大部分の氷の上部2割程を「個人的無意識(あるいは潜在意識)」と仮定し、残り8割程を「集合的無意識(あるいは深層意識)」と考えてみると、人間の意識とは表面に現れている部分より隠れて見えない部分の方が遙かに大きいものであるということが想像出来ます。
 
また、私の父母を第一代世代として逆に遡って第二世代・第三世代・第四世代と数えて行くと、その父母は十代で二千四十六人、二十代なら二百十九万七千百十人になり・・・私自身の内にはそれだけ多くの父母の命(ある意味遺伝子)が渦巻いていることが理解出来ます。
想像を絶する数の人々との関わりの中に自分というものが存在する。・・・と言うことは、意識の深い層の中に祖先の精神があり、祖先の感じ方や考え方、世界や神々や人間に接してきた生き方の全てが凝縮・記憶されていると言えます。
 
SRKWブッダのホームページ、「覚りの境地」№006「名称と形態(nama-rupa:名色)」2行目に、「すなわち人々(衆生)が自分自身だと思っている自我意識やペルソナの作用が表層意識としての自我(自我コンプレックス)であり、その下層に位置する自我の他の可能性であるシャドウや抑圧されたコンプレックス人格を含む個人的無意識にあたるのが「名称(nama)」です。」と説かれています。
 
ここでは、キーワードとしてペルソナ・シャドウと言う言葉が出てきますが、これはユング心理学で使われている言葉です。ユング心理学では、ペルソナを自分の外的側面、つまり「周りの人に見せる自分」という意味で用います。状況に応じて人は顔を使い分ける。その異なる顔をユング心理学では「仮面(ペルソナ)」と呼ぶのです。それが表層意識であり、その下層に位置するのが個人的無意識(名称(nama))で、シャドウは「普段は抑えこんでいる人間の一面」です。
ユング心理学では、人間は必ず表の性質と正反対の性質を備えていると考えられています。陽気な人には陰気な部分は全くないというわけではなく、人前では陰気な性質を見せていないだけです。だから善人のジキル博士の心の中に、悪人のハイド氏が存在しているようなものです。
 
また、コンプレックスは様々な要因によって発生し、ある意味人間の多面性を表しておりペルソナ・シャドウと絡んで、「特定の場所や特定の人の前で、うまくいかない。落ち着かなくなったり、普段はしないような失敗をしたりする。うまく自分をコントロールできなくなったり、不可解な態度や行動をとってしまう状態。これらはある程度意識している場合もあるし、ほとんど意識してない場合もある。」・・・このコンプレックスは、その人独自の人格を形成する源といえるでしょう。そして、このコンプレックスはある一種のエネルギー体ともいえるものであり、人間が行動を起こす原動力にもなると言うのですから人間の存在とは本当に奥が深いです。
 
同文、「名称と形態(nama-rupa:名色)」3行目に「さらに、それらの下の層に位置して元型(アーキタイプ)」群およびグレートマザーという形で人類全体を貫いて共通に存在する集合的無意識にあたるのが「形態(rupa)」です。」とありますがそれを少し説明します。
 
元型と書いているのは、元型(げんけい)と読みます。アーキタイプとは「原型。ある民族ないし人種が同様の経験を反復するうちに,一定の精神的反応を示すようになり,特有の集団的無意識をもつにいたる。その具体化がアーキタイプで,神話や伝説に顕著である。」(以上、「コトバンク」から引用)とあります。要するに、長い長い歴史を繰り返す中で人は、特有の集団的無意識を持つようになると言うことです。ちなみにグレートマーザーとは、集合的無意識の中に存在する母なるものをさします。 
                                                                                                      (つづく)


*法津如来のコメント

本日、2回目のブログ更新です。
本日も石法の如来の特別寄稿を掲載します。
この「『名称と形態』の考察」は数回に分けて掲載する予定です。


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