SRKWブッダ著「仏道の真実++」【善き談】◇ 戒論論

(以下引用)

【善き談論】 ◇ 戒論

戒律は、してはならないことを取り決めて人を縛り付けるためのものではない。

戒律は、むしろ修行者が自由闊達に振る舞うためにこそ規定されるのである。

例えば、スポーツはルールに則って行わなければならないが、逆に言えばルールに則っていさえすれば思い切ったプレイを為して良いということでもある。

そして、それがスポーツの醍醐味を生み出す源泉ともなる。

同様に、戒律にしたがうことによって、修行者は自分の振る舞いについて気を削がれることなく修行に専念することができるのである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

SRKWブッダは、戒について具体的な項目をあげるて説くことはないようですが、ゴータマ・ブッダは仏教徒ならば守るべき五戒というものを示しています。

それについてこのブログで書いていますから、それを復習のために引用します。ダンマパダ246偈と247偈の解説です。
https://76263383.at.webry.info/201210/article_24.html

(以下引用)

今回は五戒について述べられたものです。五戒を守らないことは、その人の汚れなのです。昨日に詩と関連して言えば、五戒を守らない生き方は汚れた生き方であり、五戒を守る生き方は清らかな生き方なのです。

五戒というと少し厳めしいあるいは、特定の宗教、仏教の戒律のように聞こえますが、普通の言葉で言えば道徳です。どのような宗教の人でも、無神論者でも、いわゆる偉い人でもそうでない人でも、若い人も老人も男も女も守った方がよいのです。その訳はそれを守れば不幸にならないからです。幸福になるからです。どんな人でもそれは望んでいることだからです。

もう一つ道徳に関して言われていることに、普遍的な道徳ない、時代や場所(国など)が変われば道徳も変わるものだといわれます。確かに、そのような道徳項目もあります。しかし、この詩に述べられている五つの道徳項目は時代や場所を超越して、いつでもどこでも正しい真理です。ではそれを一つ一つ検証してみましょう。

1.生き物を殺さないこと。これは永遠の真理です。どんな生き物も殺されたくないのです。その生き物を殺す権利は誰にもないのです。ですから、生き物を殺してはいけません。他の生き物を殺さなければ、自分が生きていけないと言う人がいます。それは屁理屈です。自分が生きていけないから、他の生き物を殺してよいと言う理屈はなりたちません。この屁理屈が成り立つとすれば、あなたの敵があなたを殺しても良いという理屈が成り立つはずです。しかし、それをあなたは認めないと思います。キリスト教などは人間と他の動物を区別して人間は殺してはいけないが、他の動物は殺してもよいように考えていますが、これは人間の勝ってなエゴで、理屈ではないのです。

2、偽りを語ってはいけない。つまり嘘を言ってはいけないということ。事実とことなる発言を繰り返すとその人の脳が狂ってきます。しかし、それ以上に重大な問題は嘘を言われた人の人格を否定することです。人の人格を否定することは、ある場合にはその人の身体を傷つけるより大きな罪になるのです。人間にとって心(人格)は肉体より大切だからです。またそれに伴って信頼関係は崩れ、取り返しのつかない罪を犯すことになります。嘘をつく人は当然不幸になります。

3.与えられない物を取るとは泥棒のことです。これはいつでも、どこでも罪とされる事柄ですから説明は必要ないでしょう。

4.他人の妻と不倫をする。これも説明は不要でしょう。しかし、一部にはこれは人間性の、自由の発露だと肯定する文学などがありますが、嘘をつくことと同じように、愛する人を裏切り、その人の人格を否定する悪行為です。抗弁することはできません。不倫の当事者は不幸になることはまちがいありません。

5.穀物酒や果実酒などを飲むこと。五戒では麻薬類も禁止されています。これらのものは身体に害があるということもありますが、それ以上にこれらを使用した人の理性を失わせてしまうことです。人間は感情的になりやすく、上に述べた道徳の四項目を守ることが難しいのです。道徳を守る力は自分の理性なのです。酒類を使用すると、道徳を守る理性を失わせるので、酒類の使用を禁止しているのです。ブッダの人間に対する憐れみから述べられているのです。

殺さない 嘘をつかない 盗まない 不倫をせずに 酒を飲まない(246)
人々よ 五戒守れば 自分自身の 根元を守り 幸せ守る(247)

(以上引用)


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