SRKWブッダ著「仏道の真実++」【仏教の知識】(3)

(以下引用)

【仏教の知識】(3)

 ところで、釈尊は成道前には正法の具体的なことは知らなかったと思われるが、作仏するその刹那に正法を自ら誦出して知ったのであると推認される。いわゆる「明けの明星を見て」という仏伝の下りがこれに対応していると考えられるからである。

 事実、ある正法はこの明けの明星に比喩される真理を述べているのである。すなわち、覚りの機縁に際して法界からこの世にどのようにして法の句が出現するのであるかを述べた教えが、正法の一つの表現に他ならないからである。

 ところで、正法の何たるかを理解するためには幾らかの仏教の知識が必要となる。具体的には、経典の正法以外の部分の理解やその解釈、ジャータカ(=前世譚)、および一般的な仏教用語の意味についての知識などがそれに当たる。これらの知識を援用することによって、修行者は他の修行者と正法について談論することができるわけである。また、自分自身が法の句に遭遇したときにも、これらの知識は役立つものとなろう。

 ただし、実際の修行においては知識に頼ってはならない。知識は、憶えて忘れるべきものだからである。つまるところ、修行の最後の最後は、知識ではなく信仰心の篤さにかかっているからである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

この引用文の最後の言葉

「ただし、実際の修行においては知識に頼ってはならない。知識は、憶えて忘れるべきものだからである。つまるところ、修行の最後の最後は、知識ではなく信仰心の篤さにかかっているからである。」

について一言述べれば次のようになります。

法の句を知識と知っていれば、その知識が邪魔をして法の句を聞いたときに、それが法の句だと思えないということです。

知識は憶えて忘れていれば、法の句を聞いた時に、それが明けの明星のように、光って聞こえるのです。



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