SRKWブッダ著「仏道の真実++」【親近(しんごん)】

(以下引用)

【親近(しんごん)】

 生き身のブッダが世に存在していることが前提となるが、ブッダの近くにいる人が解脱しやすいということがあるのだろうか。もしそうならば、ブッダの近くに馳せ参じて、常日頃から親しむことが勧められよう。

 結論を言えば、親近することについては物理的な距離は関係がないということである。実際、近くにいる人がなかなか修行が進まず、遠くに住んでいる弟子や縁者の進捗が目覚ましいということも現実に見られるからである。また、現代においては電話による会話やインターネットを用いたテレビ会話などが可能であり、遠く離れた人とも近しく会話することができるようになったという事情もある。

 ところで、親近することについて私(=SRKWブッダ)も質問を受けることがある。具体的には、

 「SRKWブッダに会いに行けば修行は進むのでしょうか?」

などという問いである。

 このような場合、私は次のように答えることにしている。

 「生き身のブッダに直接会うことが修行に役立つとか功徳を積む直接の因になることは無いでしょう。ただし、それによって、この世にブッダが本当に存在するのであるということを間近に見て信じることを得るならば、それが修行の糧となることはあるでしょう。その逆もまたしかりですが。」

 ところで、親近の本質とは何であろうか。それは、修行者が自分のあり得べき未来の姿を見ることができるということである。要するに、自分がブッダになるという目標が決して遠いものではなく、ある意味では身近なものであると感じられるようになるということである。

 なお、仏道において親近ということが説かれるのは、親近しない人があるためである。これには、ブッダを尊敬して仰ぎ見てしまうことも含まれる。もちろん、ブッダなど衆生と大して変わらない存在に過ぎないと断定してしまうようであれば、その覚りは恐らく遠いこととなる。このような意味で、ブッダに親近することは修行の重要な要素であるとは言えよう。

(以上引用)


*法津如来のコメント

私(東京都在住)がSRKWブッダ(熊本県在住)に親近したのは公案を通じてです。私は結局公案を通るということはなかったのですが、「一円の公案」の解答をメールで45回以上提出しました。

その解答に対して、丁寧なご返事をいただき、そのご返事から仏教の真髄をいろいろ学びました。

それがブッダに親近するということだったのです。


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