SRKWブッダ著「仏道の真実++」【観(=止観)】(1)

(以下引用)

【観(=止観)】(1)

 省察をさらに発展させたものが観(=止観:以下、断らない限り観と書いた場合には止観を意味する)である。違いは、省察は自分自身のことがらを対象として行うものであるのに対して、観は衆生を対象としている点にある。要するに、観とは一般化された省察なのである。

 観は、智慧を知的考験の先にあるものと位置づけたとき、それに近づくためのおそらく唯一の実践的な方法である。ただし、観の完成がすなわち覚りではない点に注意しなければならない。実際に智慧を得るためには、観を完成させた後さらに覚りの因縁を生じなければならないからである。

 最初に、観について概要を説明しておきたい。

 最初に述べたように、観とは実際には止観を意味している。したがって、観の完成は「止「と「観」の両方の完成を指す。そして、基本的に止と観の完成は同時に成されるものである。

 観は、先ず観(=ヴィパッサナー)を為すことから始まる。そうして、その観が極まりつつあるとき、ついに止(シャマタ)を生じる。ここで、止を生じたときにさらに止の真の効能を理解したならば観が完成する。このため、観が完成したときには止も完成していることになるわけである。

 なお、智慧を生じるためには観の完成だけでなく覚りの因縁が必要であると説かれるのは、次のような理由による。

 観の完成者に覚りの因縁を生じたときに、この止観が定慧に転じることを得るからである。

 すなわち、止が定に転じ、観が慧(=智慧)に転じることになるのである。ここで、観を完成させていても覚りの因縁がなければ覚り(=解脱)は生じない。ある者は、観の完成が覚りであると早合点するが、智慧を知らないので未だ覚ってはおらず汚れも消え去ってはいない。この点は、修行者はとくに注意しなければならないことである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

【観(=止観)】の章は少し長いので、五つに分けて引用します。

ここでは五つに分けて引用しますが、全体的な説明をすぐに知りたい方は、SRKWブッダのホームページの理法の欄の「観」を参照して下さい。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou004.htm


しかし、【観(=止観)】については、全体がよくわかってから実践するというよりは、わかったところから実践する方がよいようです。実践してからまた読みなおすとよくわかります。実際に私はそのようにしました。




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