SRKWブッダ著「仏道の真実++」【瞑想】

(以下引用)

【瞑想】

 往時において、修行者が瞑想を行う本来の目的は心を静かならしめることにあったと推定される。そして、ある人は瞑想の先にニルヴァーナが存在しているのだと考えたかも知れない。それは、現代においても同様であろう。

 さて、実際に瞑想を行うと、意識のある種の変成を体験することになる。具体的には、いわゆるチャクラを見たり、ナーダ音を聞いたり、鮮明なビジョンが見えたり、身体がとても軽くなったような気がしたりする。問題は、その先にニルヴァーナが存在しているかどうかということである。

 結論を言えば、いかなる瞑想もニルヴァーナには通じていない。瞑想体験が道の糧となることもない。瞑想は、ただ瞑想に伴う何某かの体験を生じるに過ぎず、瞑想を解けば何某か素晴らしい境涯も元の木阿弥となる。瞑想は、心の静止には役立たない。要するに、瞑想と仏道とは無関係であるということである。

 たとえば、ニルヴァーナに至ることが地球の重力を脱して宇宙空間に達することであるとすれば、瞑想は山に登るようなことに相当する。ここで、多少なりとも高い山に登れば地上とは違う物理現象や身体現象を体験することにはなろう。しかしながら、地球上の一番高い山に登ったとしても、そこから一跳びで宇宙空間に到達できるわけではない。なぜならば、地球の重力に逆らって宇宙空間の周回軌道に達するためには、とてつもなく大きな垂直方向の速度——計算上は毎秒7.9Km以上の速度——が必要となるからである。さらに完全に地球の重力を振り切って離脱するためには、毎秒11.2Km以上の速度が必要であることも分かっている。要するに、充分な速度が必要なのであって高い山に登れば宇宙空間に至る根拠を得るわけではないということである。同様に、瞑想状態はニルヴァーナに到達する根拠とはならないということである。

 ニルヴァーナに至るために必要なものは、智慧である。そして、これは顕在意識において覚知されるものであり、瞑想状態の特殊な意識では得ることができないものである。修行者はこのことを理解して、瞑想に耽る生活に終止符を打つべきである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

この引用文で大切なことは、最後の結論ですので、繰り返して引用します。

「ニルヴァーナに至るために必要なものは、智慧である。

そして、これは顕在意識において覚知されるものであり、瞑想状態の特殊な意識では得ることができないものである。

修行者はこのことを理解して、瞑想に耽る生活に終止符を打つべきである。」



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