SRKWブッダ著「仏道の真実++」【普遍妥当なる道】(1)

(以下引用)

【普遍妥当なる道】(1)

この世には、仏道以外の道を以てこれこそがニルヴァーナに至る道であると吹聴する者が散見される。しかし、そこには何の根拠も存在していない。彼らは、自分では未だニルヴァーナに達していないにも関わらず、誤った見解に基づいて外道を覚りの道であると主張しているのである。そして、それらが普遍妥当性を欠いていることは、他ならぬ本人が否定的に証明してしまうことになるのである。何となれば、理法に適わないことを為す者は、本人も思いもよらない悪処に赴くことになるからである。

その一方で、もろもろの如来が知り、体現し、世にあまねく示現するところのニルヴァーナに至った道は、普遍妥当性を有している。そして、そのことは仏道を歩む誰もが同じニルヴァーナに到達することを得るという事実によって証されることになるのである。

では、もろもろの如来が知った普遍妥当なる道とは何であるか。それはすなわち、

「人は、一切の争いを捨て去ることによってのみ一切の争いを終滅させた不滅のニルヴァーナに達し得る」

という真理である。

その具体的なことが、法の句を聞いて真実のやさしさの何たるかを知り、それを自分の人生の柱とすることを決心したとき、解脱が起こり、一切の苦悩を終滅せしめることを得るということである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

【普遍妥当なる道】の章の引用は2回に分けて掲載します。

この引用文を読んで、ダンマパダ254偈、255偈を思い出しました。

岩波文庫「真理のことば・感興のことば」の訳は原文の本意から外れていますので、私の訳と解説のを掲載します。
https://76263383.at.webry.info/200808/article_14.html

(以下引用)
ダンマパダ 254、255

空には道がないように
仏教以外に沙門はいない
人々は捏造を楽しむが
仏陀には捏造はない

空には道がないように
仏教以外に沙門はいない
すべての現象には恒常はない
仏陀には動揺はない

○注:沙門とは解脱(悟り)を目指している修行者

○この詩から学ぶこと

 この詩の一行目の直訳は「空には足跡がない」となります。二行目は「外部には沙門はいない」です。これをどのように理解するかです。足跡とは足跡で作られた道のことです。空には鳥たちがいくら飛んでも飛ぶ道はできません。しかし大地には動物たちが歩けはそこに道ができます。

 空は仏教以外の宗教や修行団体を譬えているのです。そこには無数の悟りへの道が提案されているのですが、悟りへの道はありません。この詩には表現されていませんが、空に対する大地は仏教を暗示しています。そこには仏陀が残した悟りへの大道があるのです。

 悟りへの道は普遍的真理ですから、仏教だけのものではありません。誰でも歩むことのできるものなのです。しかし、それを仏教以外では教えていませんから、仏教以外には沙門はいないということになるのです。これは決して独断的な主張ではないのです。
(以上引用)

ただ、今この解説を読み返してみると、「そこには無数の悟りへの道が提案されているのですが、悟りへの道はありません。」というところはあまり適切ではありませんでした。

と言いますのは、真面目な宗教団体は、人間の正しいあり方を教えていますが、覚りへを道を教えることはなく、少なくとも正しい覚りへの道は教えていないからです。

ブッダの「仏教以外に沙門はいない」は正しいのです。


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