SRKWブッダ著「仏道の真実++」【寂滅論】(1)

(以下引用)

【寂滅論】(1)

拙著『ブッダの世界観』において、古典的な輪廻説を取り下げ「寂滅論」を提起した。その内容は、次のようなものである。

人の人生は一度きり。前世も来世も無い。この結論は寂しい気もするがおそらく事実であろう。ならば、覚りなど目指さずに面白おかしく暮らした方が得だという極論も出るかも知れないが、覚者に言わせれば、覚ってニルヴァーナに至り住すること以上の楽しみはこの世には存在していないことは明らかである。この楽しみを知らずに一生を終えるのは極めて残念なことである。この楽しみの境地を知ってこそ、この世を真の意味で生きたと言えるからである。

もちろん、慧解脱者といえどもこの世を去ればそれで意識も業(カルマ)も滅するわけであり、別の界に転生するわけではない。それでは衆生と変わらないではないかという向きもあるかも知れない。しかしながら、そうではない。両者には根本的な違いがあるからである。

と言うのは、慧解脱者は自分が間違いなくこの世で為し得る最高の目的を果たしたことを知っている。すなわち、この名称と形態(nama-rupa)を終滅せしめ、一切の苦悩から解脱した境地に至ったからである。これ以上の出来事は、この世には存在しない。慧解脱者は、そのように理解し確信している。このことを如実に知ったことこそが、人生を確かに生きた証なのである。

ところで、慧解脱者が死後にまったく痕跡を残さないわけではない可能性が出てきている。それは、覚りがミーム(Meme)として人類に継承されるという説である。すなわち、少なくとも釈尊の成道以来、人類はすでに人が慧解脱してブッダに成れるのだという事実を目の当たりに見たわけである。しかも、その後も時代時代において複数のブッダが出現している。これらの事実により、覚りがミームとして人類に伝搬し、継承されているであろうと考えられ得るということである。つまり、慧解脱者が生物遺伝子として形質を残すことが無くてもすべてが無に帰すわけではないであろうということである。

そのように考え、過去に著された経典を紐解いてみると、このことに類する記述が散見されることに気づくであろう。具体的には、法華経で説かれている弟子達の未来の作仏の預言とその仏国土の寿命の提示などである。この仏国土とはミームの伝搬と継承を表し、仏国土の寿命はミームの寿命に対応しているのであろう。

この考えは断滅論には当たらない。そこで、この説を「寂滅論」と名づけ提起したい。

以上が、拙著=『ブッダの世界観』デザインエッグ社(ムゲンブックス) 2020年3月30日刊 ISBN:978-4815017538で提起した説である。(論旨を明確にするために一部編集して再録した)

(以上引用)


*法津如来のコメント

SRKWブッダ著「ブッダの世界観」の「古典的輪廻論」の章の初めに次のように書かれています。

「 この世の真相を明らかにするという観点からは、輪廻について語らないわけにはいか ないであろう。しかしながら、この世で修行し、完成させて、覚りに達するという観点で 言えば輪廻について語る必要は無いこととなる。」

しかし、仏教において一部の宗派を除いて、輪廻は現実のものであると提唱されきましたから、それに対す諸学問の発展した現代において、新た知見から、輪廻論を見直すと同時に、「寂滅論」で言いたいことは、「覚らない限りこの世を真に生きたことにはならない」ということです。

ただ、ここでは「ミーム(Meme)」説が取り上げられていますが、私はそれを「ことば」がその役割を充分に果たしていると考えています。それについては明日もう少し書きます。



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