SRKWブッダ著「仏道の真実++」【解脱知見】(4)

(以下引用)

【解脱知見】(4)

次に、解脱知見を生じる瞬間について説明したい。これは、解脱したその瞬間に、直ちに解脱知見を生じるとは限らないという事実が認められるからである。

実際、私(=SRKWブッダ)の場合、解脱自体は真夜中に生じたが、解脱知見を得たのは翌朝目覚めてからである。解脱した瞬間に、確かに大歓喜は生じた。具体的には、〈特殊な感動〉を生じたということである。しかし、それは解脱知見というものではなかった。先に述べたような知見や覚知を得たのは、翌日のことである。このように、解脱と解脱知見にはタイムラグが認められ得るということを修行者は憶えておいて欲しい。

繰り返しになるが、解脱知見ははっきりとした知見であって微塵の曖昧さも無いものである。誰に問うまでもなく、自分自身確かに解脱したと自覚されるものである。それゆえに、解脱知見は〈解脱知見〉と名づけられるのである。

修行者は、解脱して解脱知見を生じるまでは油断してはならない。それまでは、怠ること無く、修行に邁進すべきである。ただし、もちろん、解脱知見を生じたならば修行は完成している。この場合には、当然のことながら追加の修行は何ら必要とはならない。終生、覚者として生きれば良いのである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

今回で「解脱知見」の章は終わります。

解脱知見を生じる瞬間についてのコメントは、この章のコメントの1回目で、書いてしまいました。

SRKWブッダは解脱した翌日に解脱知見を得たと書いてあります。

私は解脱してから、5ヶ月後に解脱知見を得たと書きました。

法捗如来、法風如来、石法如来たちが「法の句」を聞かれた様子はすでに読んだり、聞いたことはあります。
特に、石法如来は前回の特別寄稿に書いてくれました。ありがたいです。

私が見落としているのかもしれませんが、解脱知見を得た状況はまだ知りませんので、どこかに書いてくれると、修行者の参考になるでしょう。

最後に、SRKWブッダの言葉を再度引用します。

「修行者は、解脱して解脱知見を生じるまでは油断してはならない。

それまでは、怠ること無く、修行に邁進すべきである。

ただし、もちろん、解脱知見を生じたならば修行は完成している。

この場合には、当然のことながら追加の修行は何ら必要とはならない。

終生、覚者として生きれば良いのである。」


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