SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(4)

(以下引用)

 ◇ 解脱のプロセスはこの世で最大の不可思議

心が、他でもないその同じ心を滅し解脱を果たすという解脱のプロセス——敢えてここではプロセスという言葉を用いるが——は、この世における最大の不可思議である。

まるで心が自殺を望み、しかしそのままで終わることなくその後必ずよりよい形で再生することを知っているかの如くである。そして、少なくとも、解脱の瞬間に起こる諸のことがらは心によって推進されているのは間違いないことである。具体的には、法の句を認知すること、決心して知足すること、懺悔(さんげ)し終えることなどがそれに当たる。このため、覚りは偶然に起こることがらではないと知られることになる。心が働いて覚りを起こす契機を生じ、心が滅してその覚りが実現するのである以上、知らぬ間にということはあり得ないからである。

ところで、解脱のプロセスは未熟な心が成熟して完成するプロセスではない。また、解脱のプロセスは未熟な心が滅して別の心に置き換わるプロセスでもない。解脱のプロセスは、心が心底において次第次第に浄らかとなり、ついに一瞬に全体が浄らかとなるプロセスである。しかも心がそのまま浄らかな心として完成するのではなく、心が滅し、心が心ではない別のものに置き換わる現象である。その置き換わるものの本体が〈諸仏の誓願〉であると知られる。

知ってか知らずにか、人(=衆生)の心はすでに解脱のプロセスを望むという流れの中にある。なぜ、人は生まれたときからその流れの中にあるのかは本当に不可思議なことであり、説明することのできないものである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

「心が、他でもないその同じ心を滅し解脱を果たすという解脱のプロセス——敢えてここではプロセスという言葉を用いるが——は、この世における最大の不可思議である。」

この通りではありますが、世界にはこのような現象はかなりあります。

スッタニパータの「蛇の章」では、「蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」と表現されています。

これは、毛虫が蛹になって、蝶になるようなものです。

また、聖書に述べられているイエス・キリストの復活もこのことを意味しているのかもしれない。

物理現象で言えば、水(液体)が熱せられて、水蒸気(気体)になるようなものです。

だから、人は誰もがブッダになれるのです。



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