石法如来の特別寄稿 「『解脱知見(げだつちけん)』について(その3)」

(その2)からつづく。
そんな事を行った次の日の早朝寝床の中で、色々と考え事をしていました。「人間、いつまで生きられるか分からないから「早く解脱しないと駄目だな」」と、痛切に切実なくらいリアルに「その事」を思った(感じた)のです。そして、朝6時に起床します・・・。

6時半から、何時も通り「観(=止観)」の修行を始めたら、上記のような「解脱知見」が起こったのです。
自分にしたら、てっきり「番組から受けた「法の句?」」により「それ」が起こったと思いましたが、よくよく自己分析しましたら、「早朝の「その思い」」により、「では、どこへ行こうか」という思いが定まり「解脱」が起こったものと理解しました。

「解脱」というものを色々考えてみます。
「解脱するのは誰か?」・・・それは「自分」です。では、自分の「なに」が解脱するのか?・・・それは「名称と形態」から解脱するのです。それは何に基づいて起こるのか???それは、「法(ダルマ)」に基づいて起こるのだと考えられます。(SRKWブッダの理法による。)

この問題は色々難しいので、色々話が飛びますが・・・ここ数日考えるのは、「こころの世界と法の世界は繋がっているのではないのか?」という問題意識です。この事を、あまり聞いた記憶がないのですが、そうでなければ、古来から仏教は「こころを問題」にする理由がありません。

「法の世界(法界)」・あるいは「法(ダルマ)」あるいは「法の力」という言葉を、ブッダ先生もよく用いますが、それを「こころの世界」と読み替えたら、色々な面で通じます。・・・私の考えでは、「法の世界」=「こころの世界」ではないか?という予感です。(色々微妙なものがあります。確定できるものではありません。)・・・この「法(ダルマ)」だけが、「名称と形態」というものを自分の身から「脱ぎ捨てる」力があるとSRKWブッダは説きます。
              
実感として感じるのは、「自分」が「解脱」するのでは無くて、「自分のこころ」が解脱する。・・・それも「自分がそうする」から「そうなる」のではなくて、「こころが、自分自身というものを導き運んでくれる」というイメージです。(そもそも「解脱」とは、「名称と形態」が脱ぎ捨てられることを言う・・・とブッダ先生の著書にあります。)(自分としては、「こころに纏っている名称と形態が脱落する」というイメージです。)

この「名称と形態」を脱ぎ捨てることが出来るのは「法」(ダルマ)による。細部は分からないと著書には説かれています。私の直感としては「こころ」の働きと「法(ダルマ)」の働きは密接に絡んでいるとみます。そうでなければ、解脱は起こりえないです。(難しい、あくまで私感です。)

だから、私が3月31日(※注)に書いた最後のコメント中の「スッタニパータ」(※注2)の言葉に大きな意味があると自分自身は考えています。(そうでなければ、経典で言っている事に全く意味がありません。)
これも自分の実感として感じることですが、「こころ」は「すべてを知っている」ということです。「こころは全て知っていて」、「自分という本体」が「それ」にしっかりと気づき分かったときに「それ(解脱)が起こる」・・・と言う実感です。(これは断言出来ます。)
(※注=「ワン爺の独り言」(当時)の2018年3月31日のコメントを指す。)
(※注2=メールには「スッタニパータ」と書いてありますが、『ダンマパダ』第3章43が正しい経典です。)

そう考えると、自分がいくら「解脱したい」と考えたところで「それは起こりえず」、しっかり「こころと身体」がマッチしなければ「それ(解脱)」は起こりえない・・・という事になります。

あと大事な点ですが、「解脱者」の通常の精神状態です。これについてはSRKWブッダの『解脱』の24頁の下の部分・・・「人は解脱するとその瞬間から内外界の影響を受けない禅定の境地に入ることになる。・・・以下略・・・。」これは、私も毎日・常に実感している「精神状態」です。この部分が「瞑想」と「解脱」の大きな違いです。瞑想行者は、瞑想からでると「普通の精神状態に戻り」ますが、「解脱者」は常に「禅定」の状態にあります。ここが、大きく異なる部分であり、内外界の影響を受けないので「心が常に平安(静か)」なのです。

まとめ。・・・「解脱者」などほとんど存在しない中で「解脱した」というのは、大半眉唾で胡散臭いと思われることでしょう。私としては、事実を事実として「知り得たままに」書きました。

今は何より、「自分自身の解脱に特別興味があるわけでもありません。」・・・それは過ぎ去った事実であり、ただ「今(いま)という時」を一生懸命に生きるだけだと思っています。
ワンギーサ先生とは、ずっと善友でありたいと考えております。今後とも宜しくお願い致します。・・・また、色々メールとか頂けたら嬉しいです。まだ「解脱者としての経験不足」です。時間がかかると思います。SRKWブッダ先生もたしか1~2年かかったと書いていましたから。

※以上で、メールに基づく本文を終わります。今回の記事で使用したメールを、法津如来から提供して頂きました。・・・ありがとうございます。(私のは、PC内から探せませんでした。)

                                     (おわり)

*法津如来のコメント

本日、2回目のブログ更新です。

本文中の(※注=「ワン爺の独り言」(当時)の2018年3月31日のコメントを指す。)の内容は次の通りです。
https://76263383.at.webry.info/201803/article_31.html

toshi
2018年03月31日 07:35
 生き身のブッダ(SRKWブッダ)がこの世界に出現されたのはまことに稀有なることである。ブッダの説かれた法(ダルマ)を見聞して「「覚り=解脱」(ニルヴァーナ)」の修行を行うことが出来るのは稀有にしてまことに幸運なることである。・・・修行者は、「自らと、自らの(その心)」を信じて歩みをすすめよ。・・・「母も父もそのほか親族がしてくれるよりもさらに優れたことを、正しく向けられた心がしてくれる。」(『ダンマパダ』第3章43)


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