SRKWブッダ著「仏道の真実++」【神通】

(以下引用)

【神通】

神通は、仏の為すわざではない。しかしながら、まるで仏のために何者かが仏の人生の節目を彩り、生きる糧を保証し、仏の口から法(ダルマ)が世に伝わることを補助するかのような働きを見せる。その按排が見事なので、世間の人々はとても不思議なものであると感じるかも知れない。

さて、神通は観念的なものではなく物理的な働きである。すなわち、物が移動・変形したり、配置されたり、供与されたりする。そして、多くの場合それは人を介した形で実現される。このとき、その実際に行動を起こす人は、まるで何かに突き動かされたかのように意識せずにそれを為すのである。

なお、その実際に行為する人はごく普通の人であることがほとんどであり、仏の知人であることは希である。したがって、彼は意識的に仏のために働こうなどと思っているわけではないことは明らかである。要するに、仏のために行う結果になるなどということは夢にも考えず、期せずしてそのような行為を為してしまうということである。

神々の芸は細かい。具体的には、記念碑的に何かを落としておいたり、食料やライフラインの費用を賄うためのお金を還元・捻出・供与させようとして人々を動かしたり、支払額がピッタリになるように料金設定したり、期限・期日を適宜に変更したり、たまのお菓子や家族のお祝品を供与するために人々にミスをさせたり、転ばせたり、ちょっとした怪我をさせたり、敢えて言い争いを生じさせたり、また懸賞に当選させたりする。しかも、時間の制約を超え、ずっと前にそのことを仕込んでおいたように見える場合もある。もちろん、本当に神々がそのように仕向けているかどうかは分からないが、現実問題としてそれらのことがらが身の回りや遠くで物理的に起こるのである。そこで、神通と称するのである。

ところで、神通を為す者としての神々の実在性はいかなるものであろうか。結論を先に言えば、そのようなことを行う実体のある神々の存在は否定されるであろう。では、何が神通の源泉なのであろうか。

それは、やはり人間の中にそのような機構が存在しているのだと考えるべきであろう。具体的には、広がりの意識によって人々は生き身の仏の存在とその動静を識り、そうして必要に応じて無意識に神通の実現を幇助してしまうのだと推定される。

ただし、これは仏に忖度して行われるものではない。何となれば、神通は仏の考えとは無関係に生起するからである。仏にとっても、具体的な神通の現れは意味深長な意外性のあるものである。これは、あくまでも人々の仏に対する尊敬の気持ち——それは心底のものであって意識されてはいないものであろうが——から励起され、象徴的に為されるに違いない。要するに、人々のやさしくありたいという気持ちが神通にまつわる現象を引き起こしているのだと考えられよう。

(以上引用)


*法津如来のコメント

神通といえば、すでに12月21日に「解脱知見」の章で、三種の明智(漏尽通、宿命通、天眼通)について述べられています。
https://76263383.at.webry.info/202012/article_26.html

その他に、天耳(あらゆる音を聴く能力)、他心通(他人の考えていることを知る能力)、神足通(上記以外の超能力の総称)等が知られています。

今回の引用文では、とくに神足通について述べられたものです。

以下は戯言として読んで頂ければ結構ですが、私には多少天気に関する超能力があります。
私が出かける時は雨が降りません。
もし、雨が降るとすれば、降る必要がある時です。
出かける時に雨が降り始めるとすると、それは時間に遅れそうだから駅まで急ぐ必要があるときです。
あるいは、忘れ物があることに気がつかせるときです。
晴れるように希望するときは、晴れるように念じます。その念は即効性はなく、2、3時間してから晴れます。
以上です。


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