石法如来の特別寄稿「『名称と形態』の考察(その4)」

(その3)からつづく・・・。
以上、「「名称と形態」の考察(その1~その3)」でSRKWブッダの理法「名称と形態」を考察して参りましたが、当然理論を覚えただけでは何の力にもなりません。修行全般については、SRKWブッダの著書などをよく読まれるようにして下さい。
 
本記事の(その1)で、人間の意識のイメージを氷山に喩えて書きましたが、「解脱」というものを考えた場合、少しイメージが違うのでそれを書きます。
簡単に申しますと、蛇が古い皮を脱皮するように「名称と形態」のそれぞれ不必要な部分を法(ダルマ)により離脱(脱ぎ捨てる)=解脱する訳ですから、意識が氷山のように一体化しているとは理論的に考えにくいです。
 
普通に考えて、「名称と形態」のそれぞれから解脱(脱ぎ捨てる)することを考えたら、それぞれの意識は独立していなければいけません。考えられるのは、小・中・大の3つの意識の玉があると仮定します。仮にそれを、上から小・中・大と独立して縦方向に三つ並ばせます。・・・当然、小さな玉は人間の意識に喩えるならば「表層意識(あるいは顕在意識)」であり、中位の玉は「個人的無意識(あるいは潜在意識)」部分であり、大玉は「集合的無意識(あるいは深層意識)」と観ます。
それぞれの意識を繋ぐものは、普通に考えたら神経細胞(しんけいさいぼう、ニューロン、neuron・神経系を構成する細胞で、その機能は情報処理と情報伝達に特化しており、動物に特有である。)ということになりますが、細部は不明です。
 
最後、大事なところなので書きます。SRKWブッダのホームページ「覚りの境地」№006「名称と形態(nama-rupa:名色)」16行目に・・・。
「名称と形態(nama-rupa)を、こころを覆う障害としてとらえた般若心経では、それらをケイ(網頭らに圭)・ゲ(礙)と呼び、ケイが引っ掛かり、ゲ がさまたげるものであるとしています。不快な心的余韻作用は、対象に関するまさに「心の引っ掛かり」であるし、心的アレルギー作用は目前の行動に対して まさにこころをさまたげるもの(心奥の障害)と言えるでしょう。」とあります。 
 
この部分は理解しにくいので、少し解説します。
般若心経の中盤に、「・心無罣礙無罣礙故・」(しんむけいげむけげこ)と記載されている箇所がその部分に該当します。
『佛教語大辞典(縮小版)』中村元著によると、「罣礙(けいげ・ケイゲ)」とは、「覆いさまたげるもの」という意味となっています。「罣(けい)」は、覆うもの、心を覆うもの。「礙(げ)」は、さまたげる、さえぎる・・・の意味をもちます。
 
それらの意味を踏まえ解釈すると・・・「「個人的無意識」である(名称(めいしょう))は、自分のマイナス部分を覆い隠そうとする(不快な心的余韻作用)、ある意味「心の引っ掛かり」を想起させ、「集合的無意識」である(形態(けいたい))は、「さまたげる・さえぎる」の意味から、自分自身の行動をさまたげようとする(心的アレルギー作用)、心の奥底に持つある種の障害を想起させます。」・・・と表現できます。
 
上記の文章に続く、SRKWブッダの次の文面が「名称と形態(nama-rupa:名色)」というものを、理解しやすくまとめられ表現されています。
「・・・それと同様に、人々(衆生)にはケイ(網頭らに圭)・ゲ (礙)と名付くべき心的障害がつねにつきまとっているのであり、そのために素直なこころ(=真如) を働かせることが出来なくなっているのだと考えなければなりません。そして、それゆえに人々(衆生)は、あたりまえのこころをあたりまえに表出できなくなっており、しかも自分自身ではそのことに気づいてさえいないのです。この知り難きこころの障害の根元こそが、名称と形態(nama-rupa:名色)に他なりません。」・・・。                                                                       
 
以上で、「名称と形態(nama-rupa:名色)」の考察を終えますが、今後の学びの参考になればと存じます。・・・意識(心理)の問題は、学ぶほどに人間の奥深さを感じます。
何より自分自身、そして人間という存在に興味を持ってこれからも精進下さい。
人間の存在そのものに興味を失わなければ、修行に興味を失うと言うことも無くなります。

                                                                      (おわり)

*法津如来のコメント

本日、2回目のブログ更新です。
前回掲載した石法の如来の特別寄稿「『名称と形態』の考察(その3)」の続きです。そしてこの稿はおわります。

 

この記事へのコメント

風雲雷雲
2020年12月03日 12:58
歩きます

最初の一歩はぎこちない

ぎこちない経験が覆い

二歩目を修正して歩みます

二歩目の修正した経験が覆い

三歩目を修正して歩みます

名称と形態
過去と未来
後悔と希望
概念と想年
経験と結果

これらの中に莫大な要素はあるが

輪廻の中の要素に過ぎない

から

解脱すれば

解脱の境地

涅 槃あり
風雲雷雲
2020年12月03日 13:01
経験と結果

は正しくない

経験と動機

の方が正しい

風雲雷雲
2020年12月03日 13:05
解脱した人には

歩けなくなってきた

これからどうなるんだろう

名称と形態
経験と動機
後悔の希望
過去と未来
概念と想念

がない
風雲雷雲
2020年12月03日 13:11
食べたと食べる
名称と形態
過去と未来
概念と想念
後悔と希望
経験と動機

という輪廻から離れ

解脱の境地

に涅 槃(終わりにできる能力)あり
風雲雷雲
2020年12月03日 13:27
「食べます」

過去の経験~【後】

未来の動機~【前】

経験と動機に覆われ

「食べる」輪廻を決心

「食べています」【中間(覆われている)〈輪廻実践中〉】
風雲雷雲
2020年12月03日 13:29
「歩きます」

過去の経験~【後】

未来の動機~【前】

経験と動機に覆われ

「歩く」輪廻を決心

「あるいています」【中間(覆われている)〈輪廻実践中〉】