石法如来の特別寄稿 「『智慧の解脱(慧解脱)』について(その3)」

(「無明の滅」)
昨年(2019年)4月6日早朝、私は、「過去に聞いた法の句を思い出し苦に喘ぐ衆生を観(み)」ながら、意識の深部に向け四諦の法が降り注ぐように突き抜けて行く感覚を得て「覚り=解脱」に達しました。
 
「覚り=解脱」の瞬間とは非常に微妙なものであり、覚者にはそれぞれ微妙な違いが見られます。
私の場合は法の句を機縁として、長年縁があった原始仏教経典に説かれる四諦の法(四聖諦)により無分別智(智慧)が生じました。古来から伝えられる、「無明の滅」が達成され修行の完成を見たのです。
 
原始仏教経典に説かれる「無明」とは・・・「比丘たちよ、では、無明(無智)とはなんであろうか。比丘たちよ、苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、および苦の滅尽にいたる道についての無智である。比丘たちよ、これを無明というのである。」(以上、増谷文雄著『根本仏教』(阿含経典講義)筑摩書房31頁から引用)
 
修行完成ののち経典を読んでおりましたら、私の覚りの瞬間にぴったりの経典を見つけました。
過去何度も読んだことのある経典でした。それが、最後の最後最も肝心な場面で出てきたのです。 経典に親しみながら思索を繰り返しますと、ふつふつと智慧の萌芽が滲み出て参ります。それをやさしく守り育てていく気持ちが大切です。
 
参考に、その経典を記します。
『ブッダ最後の旅』(大パリニッバーナ経)中村 元訳、第二章五「コーティ村にて」より引用(岩波書店・ワイド版岩波文庫・43~45頁) 
   
・・・「二 そこで尊師は修行僧たちに告げて言った。-「修行僧たちよ。四つのすぐれた真理をさとらず、通達しないが故に、この長い時間にわたって、わたしもお前たちも、このように流転し、輪廻したのである。その四つとはどれどれであるのか?
 
修行僧たちよ。〈苦しみ〉という尊い真理をさとらず、通達しないが故に、(※以下繰返し)この長い時間にわたって、わたしもお前たちも、このように流転し、輪廻したのである。
修行僧たちよ。〈苦しみの起こるもと〉という尊い真理をさとらず、通達しないが故に、(※以下同じ)                             
修行僧たちよ。〈苦しみの止滅〉という尊い真理をさとらず、通達しないが故に、(※以下同じ)
修行僧たちよ。〈苦しみの止滅にみちびく道〉という尊い真理をさとらず、通達しないが故に、(※以下同じ)                                                                                  
しかし、修行僧たちよ。〈苦しみ〉というすぐれた真理がさとられ、通達された。〈苦しみの起こるもと〉という尊い真理がさとられ、通達された。〈苦しみの止滅〉という尊い真理がさとられ、通達された。〈苦しみの止滅にみちびく道〉という尊い真理がさとられ、通達された。生存に対する妄執はすでに断たれた。生存に導く(妄執)はすでに滅びてしまった。もはや再び迷いの生存を受けるということはない」と。
 
尊師はこのことを説いた。幸いな人はこのことを説いたあとで、師(=ブッダ)はこのことを説いた。-「四つの尊い真理を如実に見ないが故に長いあいだ幾多の生涯にわたって、とらわれこだわっていたのである。それらの〈尊い真理〉はすでに見られた。生存にみちびく(妄執)はすでに根絶された。苦しみの根は断たれた。もはや再び迷いの生存を受けるということはない」と。」

                                                          (おわり)

*法津如来のコメント

本日は、SRKWブッダ著「仏道の真実++」の引用はお休みして、「石法如来の特別寄稿 「『智慧の解脱(慧解脱)』について」で今年のブログの締めて頂きます。

石法如来には、今年はたくさんの有益な寄稿どうもありがとうございます。

最後になりましたが、SRKWブッダには、「仏道の真実++」の引用を快諾していただきまして、感謝申し上げます。

また、その他の皆様のおかげで今年もこのブログを続けて来られました。

来年もよろしくお願いします。

皆様、善い年をお迎えください。



この記事へのコメント

才広
2020年12月31日 12:29
お疲れ様

ご苦労様

幸いにして、生きてた、我々。

切磋琢磨

であります。