SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(4)

(以下引用)

【経典の読誦】(4)

したがって、とくに大乗経典を読誦することの一番の意味は正法を知ることにある。

ただし、経典の中のどの部分が正法であるかは明らかには示されていない。

覚った人だけが、それぞれの経典の正法の記述部分を指し示すことができるのである。

あるいは、覚ったときに経典のどの部分が正法であったのかを明確に知ることになる。

(以上引用)


*法津如来のコメント

「経典の中のどの部分が正法であるかは明らかには示されていない。」のですが、SRKWブッダが御自身のホームページ「覚りの境地」の中の「正法」の欄に、いくつかの代表的経典に記されている正法を列記されていますので、それを引用します。
http://srkw-buddha.main.jp/syouhou.htm

(以下引用)

● 諸仏世尊はただ一大事因縁によってのみ世に出現したまう(法華経)
   〔諸佛世尊唯以一大事因縁故出現於世〕

● まさに住するところなくして、しかも其の心を生ずべし(金剛般若経)
   〔応無所住而生其心〕

● 衆生を完成するのに随って、その仏国土が浄らかになる(維摩経)

● 真実の教え(正法)をしっかりと身につけること自体が、真実の教えである(勝鬘経)

● 諸々の尊敬さるべき人が、安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。(スッタニパータ)

● 尊敬さるべき真人たちに対する信仰を財とし、安らぎに至るための教えを聞こうと願うならば、聡明な人は(ついには)いろいろのことについて明らかな智 慧を得る。(ウダーナヴァルガ)

● ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。 ── このように理解した者の形態 (rupa)は消滅する。 けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起こるからである。(スッタニパータ)

● ひとは、恐怖のゆえに、優れた人のことばを恕す。 ひとは、争いをしたくないから、同輩のことばを恕す。 しかし自分よりも劣った者のことばを恕す人 がおれば、それを、聖者らはこの世における〈最上の忍耐〉と呼ぶ。(ウダーナヴァルガ)

● ── そなたらのどの詩も、すべて、順次みごとにとなえられた。 しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。 信仰をもって(与えること)が、実にいろいろ と讃めたたえられた。 しかし、(与えること)よりも「法の句」のほうがすぐれている。 昔の善き人々、それよりも昔の善き人々も、智慧をそなえて、ニル ヴァーナにおもむいた と。(サンユッタ・ニカーヤ1)

● ── そなたらは、すべて、順次みごとに詩をとなえた。 しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。 ただ、善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。  善き人々の正しい理法を知ったならば、すべての苦しみから脱れる と。(サンユッタ・ニカーヤ1)

● ── 無明が頭であると知れ。 明知が信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭を裂け落とさせるものである。(スッタニパータ)

● 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。 ── このことわりを他の人々は知っていない。 しかし、このことわりを知る人々 があれば、争いはしずまる。 ── (ダンマパダ)

(以上引用)

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