SRKWブッダ著「仏道の真実++」【覚りの予兆】(1)

(以下引用)

【覚りの予兆】(1)

覚りに向けた道の歩みの途中には、何一つ実りは存在せず、最後にいきなり甘露の実を生じるのである。このため、修行中における覚りの予兆など本来存在しない筈である。しかしながら、実際には、覚りの予兆を生じることがある。それについて述べたい。

 ○ 最も決定的な覚りの予兆は、もうすぐ覚るだろうという説明できないが確かな感覚を生じることである。しかも、その時に特定の経典をどうしても読みたくなるなどの動機も生じる。そうして、このような場合、その経典との縁によって解脱を果たすことになる。この重大な予兆は、いわば最後の一押しとも言うべきものである。ここで、この最後の一押しの対象は、経典とは限らず記憶している理法の言葉などの場合もある。

(以上引用)


*法津如来のコメント

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

皆様が覚りへの道を邁進されますようにお祈り申し上げます。

真に覚りを求めるならば、必ずや作仏されるでしょう。


2021年(令和3年)1月1日

                    法津如来


さて、本日から【覚りの予兆】の章に入ります。SRKWブッダは覚りの予兆について、五つに分類されていますので、5回に分けて引用します。

「最も決定的な覚りの予兆は、もうすぐ覚るだろうという説明できないが確かな感覚を生じることである。」 

これが第一番目です。

今朝は目覚めてすぐに、久しぶりに金剛般若経(前半)を読誦いたしました。清しい気分です。

「覚りの予兆」ということも、新年にふさわしい題目です。

「もうすぐ覚るだろうという説明できないが確かな感覚を生じることである。」このことをもう少し合理的に説明すると、「もうすぐ覚るだろう」と思うから、覚るということがあるのでしょう。その思いが実現するという真理があるのです。

しかし、「もうすぐ覚るだろう」という思いは、実際に自分にはそれだけのことをしてきた等ということがなければ、そのように思えないのです。

もう一度言えば、自分が「もうすぐ覚るだろう」と思えるようになれば、覚るということです。


この記事へのコメント

hal
2021年01月01日 07:31
やさしくない行為は出来ない
その表現で じゅうぶんであろう と
うかびました 朝 です

しあわせでありますように

(_ _)


m
2021年01月01日 07:58
あけましておめでとうございます。
2020年はお世話になりました。このブログを見ることは習慣化し、怠け癖のある私の修行の大事な支えになっていました。ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
才広
2021年01月01日 09:14
今日の文は

表現の仕方は無限にあるが

如実に来る

事を

如実に感じる

物凄い安心感

物凄い裕福感

があり

駄目な自分に

法が勝つ

このまま行けば

だし

今まで一度も言ってないが

「あれだ!」

と起き

その経典を貪り

「これだ!」

と起き

自分に起こる事を

如見する

そして

自分全てに対して

その法が勝つ

そして

法の人になる

解脱後

表現する為に

法を現した

生きとし生けるものが幸せでありますようにの人

自分の中に微塵も瞬間も怒りを発生させない人

として

教えを初めて始めた

それは

生きとし生けるものが幸せでありますように

自分の中に微塵も瞬間も怒りを発生させない

これが全ての教えである