SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(1)

(以下引用)

【女性の修行(その1)】(1)

 性別に関係無く、人は覚ってブッダとなることができる。このことは、現時点においてすでに二名の女性ブッダが出現していることで証明されていることである。それでも、女性は男性よりも覚り難いのではないかという疑念を持っている人があるかも知れない。そこで、とくに女性が仏道を歩むことについて所感を述べたい。

 ◇ 自分がどうしたいのかが分からない

 これは、自分の気持ちが自分で分からないということである。もちろん、これ自体は異常な状態ではない。

 さて、これは自分の本当の気持ちが知りたいという問いを為すことと同義であろう。そうであるならば、その先に覚りがあると考えて大過ないことになる。何となれば、覚りとは自分の本来の気持ちを知ることを機縁として智慧を生じる過程に他ならないからである。

 観(=止観)を行い、その完成によって自分の根底の気持ちを知るならば心解脱者となる。また、世に希有なる法の句を耳にして、それによって自分の根底の気持ちが明らかとなり、懺悔(さんげ)を為し終え、智慧を生じたならば慧解脱してブッダとなる。

 世間において自分の気持ちがはっきりと分かっていることは、まともなことであると考えられていよう。しかしながら、実際にはその明確な気持ちを生じた要因は外的なものや環境的なものによって喚起されており、本人の真の気持ちとは言えないものである。要するに、人々(衆生)は自分の気持ちが自身から生じたものであると信じているが、実際にはそうとは限らないということである。その一方で、しあわせの境地たるニルヴァーナに至りたいという気持ちは間違いなく本人のものなのである。

 すなわち、社会的に適応していることと仏道を歩むこととはこの意味において正反対のことがらであると言えよう。このため、この一なる道を歩む修行者を「(世間に逆らって)流れを上る人」とも呼ぶのである。ただし、もちろん、仏道修行者が反社会的であると主張するのではない。流れを上る人でありながら社会と融和し、尊敬さるべき存在であるのが、真の修行者である。そして、修行を完成したブッダも世間の人々から忌避されることはなくむしろ深く尊敬されることになる。

 このようなことから、自分がどうしたいのかが分からないという状態を正しく抜け出したとき、自分が本当に為すべきことが思い当たるという状態になる。これが明確になるのが発心である。このような人は、すでにニルヴァーナの近くにあり、機縁を生じ、因縁があれば直ちに覚りを生じることになる。

 ただし、通常は、発心する前に仏教に興味を持って仏道を歩み始めるということが起こる。それが聖求を抱いたということである。要するに、衆生の身でありながら自分がブッダになれるのだという正しい求めを生じて行動を起こしたということである。そうなれば、首記の問題はすでに解決されているであろう。

(以上引用)


*法津如来のコメント

SRKWブッダ著「仏道の真実++」の引用が、終わりに近づきました。

最後の二つの章は「【女性の修行(その1)】と【女性の修行(その2)】です。

それぞれ13項目について述べられていますので、合計26回に分けて引用します。

これらの章は、「あとがきに代えて」に「女性の読者も仏道を歩むことについて興味を持ってくれるように章立てを加えること。」と書いてあるのですが、これがこの章の目的です。

しかし、これらの章の内容は男性が読んでも十分に有用であり、興味深いテーマでありますので、男性の読者の方も、省略せずに読んでください。

男性にも「自分がどうしたいのかが分からない」という方はいるはずです。



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