SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(5)

(以下引用)

【女性の修行(その1)】(5)

 ◇ 自分を大切にしつつ修行は進む

 それがどんなに素晴らしい境地でも、そこに到達するためには自分の大事なものが損なわれてしまうというのでは誰もその境地を目指すことはないであろう。敢えて、それでも目指すという酔狂な人はあるかも知れないが、それでは万民に勧められる教えとはなるまい。

 さて、仏道を歩むことと自分を大切にすることとは両立するのであろうか。それについて述べたい。

 最初に言っておきたいことは、覚り(=解脱)は何かの対価としてもたらされるものではないということである。すなわち、この一なる道は、途中においても達してからも何一つ失うことなく甘露の実りだけを得ることができるものだからである。もちろん、覚りによってこの名称と形態(nama-rupa)は終滅する。ただし、これは元々要らないものであったと覚った後に理解されるものである。

 したがって、修行者はもちろん自分を大切にしつつ修行に勤しんで良く、そのようにすべきである。功徳を積むために布施供養することは称賛されることであるが、そのために何かを犠牲にしてはならない。そのようなことをすれば、功徳は積まれないどころか、却って悪業を積むことになってしまうからである。

 また、修行者は、自分ならざる何ものにも依拠してはならない。そして、本当にしあわせになりたいのであるならば、何よりも自分を大切にすべきである。それが、自分ならざるものに依拠しないことに繋がるのである。同時に、他の人も大切にしなければならない。具体的には、決して相手を邪険にせず恕(じょ)すべきであるということである。

 ところで、世の中には、しあわせに至るための方法と称する怪しげなものがある。もしそれが、自分を損なう恐れが伴うものであるならば、それは実行するまでもなくしあわせに至る道とはならないのだと知るべきである。

 愚かな者は、苦によって苦を捨て去ろうとさえする。それが立派な修行だと思い込んでいる者さえある。もちろん、それは無益であり、しあわせに至る道とは真逆のものである。仏道は、賢者の道とも称される。理法に適った行いを実践することによって、自分を大切にしつつ、しあわせの境地に到達することができるのである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

今回も、この引用文の要約をします。

仏道を歩むことと自分を大切にすることとは両立するのであろうか?

この一なる道(仏道)は、途中においても達してからも何一つ失うことなく甘露の実りだけを得ることができるものです。

修行者はもちろん自分を大切にしつつ修行に勤しんで良く、そのようにすべきなのです。

また、修行者は、自分ならざる何ものにも依拠してはならない。そして、本当にしあわせになりたいのであるならば、何よりも自分を大切にすべきなのです。同時に、他の人も大切にしなければならないのです。

・・・・・

蛇足の解説:仏道とは本当にしあわせになる道なのです。



この記事へのコメント

hal
2021年01月15日 12:39
「仏道とは本当にしあわせになる道なのです。」

ありがとうございます。

そして

おめでとうございます。

よき 日 に。

(_ _)
法津如来
2021年01月15日 12:54
halさん、コメントありがとうございます。

そして、お祝いのことば、ありがとうございます。