SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(9)

(以下引用)

【女性の修行(その1)】(9)

 ◇ ポジティブに

 ポジティブに生きるということが取り沙汰されるのは、本当の意味で前向きに生きることは難しいのだと周知されているからであろう。実際、この世には思い通りにならないことが少なからずある。そして、実のところ、この世はすべて思い通りにはならないものなのである。

 ただし、この思い通りにはならないというのはネガティブなこととは限らず、極めてポジティブなことについても成立している。そして、仏道を歩むことはこの意味における思い通りにはならないことである。何となれば、人は覚ったとき、当初思い描いていた以上の、それを遙かに超えるしあわせの境地に到達することを得るからである。それはたとえば、小さな家を望んだだけなのに実際には世界のすべてを手に入れることを得たようなものである。

 ところで、修行者がポジティブであることは実は極めて重要な要素である。と言うのは、修行の最後の局面においてポジティブでないと覚りの機縁が豊かであっても覚りを生じないからである。実際、修行者は口では苦しみの此岸から楽しみの彼岸に移りたいと言うのであるが、いざその局面に立つと足が竦んでしまう者も少なからずあるからである。要するに、修行の最後の最後が難しいということである。

 この点についてもう少し説明をしておきたい。

 大事の局面において、修行者はブッダの立場に立つかあるいは衆生の立場に立つのかを迫られることになる。もちろん、覚るにはブッダの立場に立たなければならない。しかし、ある修行者は、このギリギリの局面において衆生の立場に立ってしまうのである。否、立ちすくんでしまうというのが本当のところかも知れない。もちろん、それでは覚りは生じない。この局面を打開するためには、断乎としてポジティブでなければならないのである。

 なお、修行者は、修行中につねにポジティブである必要はない。しかし、修行の最後の最後においてはポジティブでなければならない。このことを忘れないで欲しい。誰もが、いずれその局面に立つことになるであろうからである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

この引用文で重要なところは次の通りです。
「ところで、修行者がポジティブであることは実は極めて重要な要素である。と言うのは、修行の最後の局面においてポジティブでないと覚りの機縁が豊かであっても覚りを生じないからである。実際、修行者は口では苦しみの此岸から楽しみの彼岸に移りたいと言うのであるが、いざその局面に立つと足が竦んでしまう者も少なからずあるからである。要するに、修行の最後の最後が難しいということである。」

私に関して言えば、2019年8月15日に「法の句」を聞いたのに、解脱知見を得たのは翌年の1月15日でありました。それほど長い期間があったのは、自覚はしていませんでしたが、実際には「その局面に立つと足が竦んでしまう」ということもあったのかもしれません。

実は法の句を聞いて、数日後SRKWブッダに、そのことを報告した時、「大事の局面において、修行者はブッダの立場に立つかあるいは衆生の立場に立つのかを迫られることになる。もちろん、覚るにはブッダの立場に立たなければならない。しかし、ある修行者は、このギリギリの局面において衆生の立場に立ってしまうのである。否、立ちすくんでしまうというのが本当のところかも知れない。もちろん、それでは覚りは生じない。この局面を打開するためには、断乎としてポジティブでなければならないのである。」と教えられたのです。

またその時、般若心経の最後の真言「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか」はそのことを意味しているのだと、私の背中を押してくれたのでした。



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