SRKWブッダ著「仏道の真実++」【女性の修行(その1)】(10)

(以下引用)

【女性の修行(その1)】(10)

 ◇ 依存しない生き方

 自分の足で、しっかりと人生を歩むことは立派で素晴らしい。そこには、世間の人間関係に縛られない自由で生き生きとした生活が存在している。

 ここで、依存しないというのは誰の援助も受けないという意味ではない。むしろ、必要に応じて誰かの助けを受けることがあっても良いのである。ときに、信頼できる誰かのアドバイスを受けたり識者の意見を採用したりしても構わない。なぜならば、依存しない生き方というのは、ひとりぼっちで寂しく生きることではないからである。

 ただし、仏道を歩むことについては基本的にただ独りで歩むべきことがらとなる。仏道は、誰であろうとも徒党を組んで歩むことはできない。覚りの道は、最初から最後まで各自のことがらなのである。

 ところで、仏教では他人に従属するなと説かれる。なぜならば、従属する者はたじろぐからである。また、自分ならざる何ものにも依拠してはならないとも説かれる。これは、肝心なことはすべて自分で決めなければならないという意味である。逆に言えば、これらのことが充分に保たれているならば仏道を正しく歩んでいるのだと考えて良い。

 上手にやろうとすると、却って道を逸れてしまうことになる。仏道を歩むことには紆余曲折が伴うのが普通である。地獄に墜ちるような悪行さえ犯さなければ、多少の、一過性の破戒は覚りの道の障害とはならない。むしろ、真理を多面的に考究することは覚りに向けた修行ともなり得る。ゆえに、これを遍歴修行と呼ぶのである。

 依存しない生き方というのは、言ってみれば根本の目的を見失わない生き方ということである。この点にブレがないならば、どのように生きても人生を全うすることができるのである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

釈尊は死に近づいた時「自灯明、法灯明」ということ述べておられます。この意味は、自分を頼りにして、法を頼りにして、生きるということです。

「依存しない生き方」ということは、他人に依存しないということで、自分を頼りにして、法(真理)を頼りにして生きるということです。

もう一つ、釈尊の話をすれば、生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言われたと伝えられています。これは全世界全宇宙で私だけが尊いという意味ではなく、私と同様どんな一人ひとりが尊いのだという意味です。この八文字には記されていませんが、その理由は解脱することができるからだと述べているのです。

「依存しない生き方」というのは、誰もがブッダになれるのだから、他人を頼りにするのではなく、自分自身を頼りにして、法(真理)を頼りにして生きなさいということです。


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